俳句の日、迫る!
こんにちは。
タイトルを見て、なにっ俳句の日とはいつだ、と思った方、いらっしゃいますでしょうか。まごうことなく、8/19です。
8、1、9で俳句の日という語呂合わせ。
俳人の坪内稔典さんたちによって1991年に制定された記念日でございます。
実はこのブログをしています私も、高校時代に俳句甲子園の全国大会に歩を進めたことがある身でして、わずかながら俳句に時間を費やしていた日々があります。
だから現代俳句についてなんでもわかる、というつもりは毛頭ないのですが、楽しみ方がわからない、敷居が高いと遠ざけている方がいらっしゃるとしたら、勿体ないですよとちょっとだけ突っついてしまいたくなります。
ともかくそこまで大仰なことではなく、いつものような感じで、本紹介です。
ポラン堂古書店にもある素敵な一冊『天の川銀河発電所』という本について、紹介させていただければと思います。
佐藤文香編『天の川銀河発電所』
現代俳句ガイドブック、と表記されているのが見えますでしょうか。
俳句関連のメディアや俳句甲子園の関係界隈にはおなじみの佐藤文香さんが企画した現代俳人大集合の俳句アンソロジーです。1968年以降に生まれた現代俳人の数名のオファー枠&公募枠を設け、それぞれ自薦200句を送ってもらい、その中からさらに絞られた、前者だと81句、後者だと39句が、各俳人ごとの見開き2~4頁として続きます。さらに各俳人たちに対し、佐藤文香さんからの解説、もしくはゲストを招いた対談形式でたっぷり、この句が好きですねぇ、とかいったコメントがつく。とにかく俳句だらけの一冊です。
佐藤文香さんと言えば、愛媛の松山東高等学校に在籍中第五回俳句甲子園にて団体準優勝、そして同大会の最優秀句「夕立の一粒源氏物語」が有名な俳句甲子園界隈のレジェンドです。俳句甲子園ってたららんって音が鳴って俳句の書かれた幕が下りてきて2回読まれてそこからディベートなんですけど、私なら、たららんと音が鳴って「夕立の一粒源氏物語」が読まれてしまったら途端に戦意喪失すると思います。当時の私じゃあ、自分と同じ高校生がこの句をつくったことを受け止められた気がしない。
というわけで、『天の川銀河発電所』にある選び抜かれた3000句近い俳句の中からさらに勝手に無理難題を背負わせていただいて、私が好みで5句選びました。いうまでもなく、この本の内容量の1%にも満たない紹介となりますので、興味をひかれた方は必ず本をのものを手に取ってくださいませ。
亡びゆくあかるさを蟹走りけり
高柳克弘
蟹、の一文字のみだと川や磯にいる小蟹を指し、夏の季語となります。ずわい蟹やたらば蟹だと冬の季語だとの事。
今回選別するにあたり「蟹」を使った句で良いものが複数あって迷いました。しまいには、あまりにも魅力的なもので、蟹の句を読むたびアイドルを見たような高揚を感じてしまうまでに……。緊張と緩和というか、視線を落とさせる被写体としての小ささが絶妙で、さらにどこか玩具のようなからくりのようなありえなさがある。蟹には蟹なりの必死さはあるだろうけど、表情はなく、どこか嘘っぽさもある。
前半のSFめいたあたりも素晴らしいですよね。爆発の一歩手前のようでもあり、もっと緩やかな終焉のようでもあり。「蟹」のおかげで近くに海なり水辺があるのもわかるので、情景として静かでやはり美しいのですよ。
起立礼着席青葉風過ぎた
神野紗希
第四回俳句甲子園で団体優勝他、「カンバスの余白八月十五日」の句で最優秀賞をとり、俳句甲子園といえばこの人というくらい有名な俳句甲子園レジェンドです。彼女が俳句甲子園の会場を揺れ動かした句の一つがこちらの句でした。
青葉が夏の季語です。私が俳句甲子園に挑んだ年の兼題(指定されたテーマとなる季語)が「青嵐」でして、恩師が過去にこんなすごい句があると見せてくれたのが最初の出会いでした。今でも諳んじれるほどなので、よほど衝撃的だったのだと思います。
情景が、気温も匂いもそのけだるさも伴って再生されるのだからすごい。きっと夏の制服は白色で、昼食が終わった後の5時間目とかで、外では別の学年がプールの授業なんかをしている。もう既に眠くて、この後眠る生徒もいる。みんなが、青春も、この季節もまだ長いと思っている。美しく、泣けてきそうな句です。
調べてみたら、一つ目にあげた高柳克弘さんとご夫婦とのこと。この5選をした後に知ったので驚きました。
抽象となるまでパセリ刻みけり
田中亜美
動きがあって響きがいい。淡々としていながらも何かしら固執のあるようで、そのとっかかりに目を凝らすと「抽象となるまで」。抽象とは具体の逆ですね。かたちのはっきりとあるものが、そうでないものとなっていく。日常的に捉えるとそれは有耶無耶になるという負の感じですが、文学的に捉えれば概念化していく、大きな枠組みの中に昇華されていくような位が上がるイメージにも思えます。この句だとどちらでしょう。
そして刻まれているのがパセリという絶妙加減。野菜であったものが細かく細かく刻まれて、味にとくに影響もない飾りになっていく。そういう意味だとやはり存在を消していくような印象ですが、やがて別の何かと一体化していくという感じもします。
自分をそうしているのか、何かをそうしているのか、深く考え甲斐のある好きな一句です。
ちなみに季語となるものはパセリしかないだろうと思って調べてみたら夏の季語。あまり季節感を感じたことがなかったので新鮮な気がしました。
キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事
北大路翼
私が思わず前のめりで読んだのが北大路翼さんの頁でした。このキャバ嬢の句の隣にも「簡単に口説ける共同募金の子」という俳句があり、おっとちょい悪な感じか、と惹きつけられてしまった。こうして、敷居は高くない、気軽に読めますよと現代俳句を紹介しながらもどこか優等生なイメージをジャンル全体に持ち続けていたのかもしれません。反省せねば。しかしそういう句ばかりなのかと思いきや「マフラーを地面につけて猫に餌」のような句もあるわけです。惚れてまうやろ。
この句、なんといっても「ゐる」の滑稽さ、俳句としてかたちを保とうとする小芝居っぷりがすごく好きなんですよね。背景に深みはないだろうと勝手に思っていて。あるのかもしれないですけれど。キャバ嬢と、見ているのだから自分はキャバ嬢ではない。しかし客だったらキャバ嬢にとっての「ライバル店」であって自分にとってではないはずだから違和感があるし、ボーイさんかなと思うけれど「キャバ嬢と」という言葉のよそよそしさが同僚という感じではないし……まさか、火事になっているのはキャバクラではない、客である主人公の競合他社とか……と、深みはないだろうと言ったはずの背景の深みについて考えてしまいました。
火事、が冬の季語です。しかし年がら年中火の元には気を付けましょうね。
猫ですしじゃあなんでちまき食ってんのって話だわな
福田若之
惚れてまうやろ。
いや、なんといいましょうか。福田さん同い年の方だったんですよ。きっと高校生の頃に出会っていたら一緒に部室の机を囲んで、テーマを決めて、一句ずつ発表なんてことをするかもしれない。で、これですよ。一部からは、いや五七五にせえよ、とか、猫ですしって何、どういう光景なんだ、とか声が上がるのでしょう。しかし私はたぶんきっと黙って下を向いて静かに恋に落ちている……気がします。
このわからなさは何なんでしょう。そう言いつつも一切解き明かしたくないという気持ちもあります。説明されたら魔法がとけてしまう、というこのふわふわした感じが一番いい。
「猫ですし」は猫が言っているのか、猫を見ながら言っているのか。後者だと会話的な情景が浮かんできそうなものだけど、「話だわな」っていう、何ですかこの、責められている感じ。でも話の途中の確認という感じ。猫じゃないかもしれんのやろか、何でしょうかこれは。
言うまでもなく「ちまき」が季語ですが、端午の節句のものとはいえ季語は旧暦で考えられるので夏の季語です。しかし端午の節句の話なのかどうなのか。
五七五を外れることについては佐藤文香さんから解説されています。「普通の俳句の音数の中に、普段四分音符の音符が、八分音符十六分音符になって、ちゃんと収まるようなリズム感もある」とのことで、これもまた何を言っているのか絶妙にわからない。佐藤さんにも惚れてしまう。
福田若之さん、最初の頁をかざる俳人さんなのですがすごく好きな句が多かったです。「夜景どこかにつめたいたいねじが落ちている」とかもお気に入り。名前を憶えておきたい俳人さんです。
以上、5選と言いながら太字を見てもらうとわかるように、どさくさに紛れてたくさん挙げております。大目に見てくださいませ。
あとブログの機能上、俳句でありながら縦書きにできなかったことも悔やまれます。『天の川銀河発電所』自体は全て縦書きでございますので、安心して堪能なさってください。ここで紹介した句も別の味わいをもって再度現れることと思います。
解説に対してはほとんど触れられませんでしたが、佐藤文香さんの解説やゲスト対談もすごく楽しく、良い本だ良い本だと繰り返し思いながら読みました。今最前線にいる作家さんが並びますが、「公募」もなかなかの選り抜きで、実は私が最も愛する作家・長嶋有さんもさすがのセンスでそこに並んでいます。ここで長嶋有さんについて語り始めると企画が逸れてしまう気がするので、一句だけの紹介にとどめます。
ポメラニアンすごい不倫の話きく
長嶋有
さすが。ポメラニアンの響きの気持ちよさと、「すごい」という口語的な形容詞が素晴らしい。季語はわかりません。
ともかくすごく楽しい一冊ですので、ポラン堂古書店やお近くの本屋にて手に取ってみていただきたいです。
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