12/9は漱石忌、前期三部作特集

 こんにちは。

 12月になりまして、初めてのブログ更新です。

 タイトルにあります通り、12/9漱石忌ということで、今回は夏目漱石さんのお話です。

 芥川龍之介の命日の河童忌、太宰治の命日の桜桃忌、と比べると漱石忌とは、なんだかあまりにもそのままという気がしますね。こころ忌とか自転車日記忌では駄目だったんでしょうか。

 1867年(大政奉還の年ですね)、に生まれた夏目漱石氏は、1916年12月9日に胃潰瘍で亡くなりました。胃潰瘍で……? となるかもしれませんが、調べてみると、その解説を読むだけでなかなか辛そうなので、あまり調べられないほうがいいのではないかと思います。


 夏目漱石と言えば私が生まれた時から1000円札でございました。2004年から野口英世氏に変わるまで子どもの頃の私にとっても漱石さんはとても身近な人でしたが、一方で彼がお札の間はその作品に手を伸ばすことをしていなかったので、偉大な人らしいけど好き嫌いとかはありませんでした。

 高校生になって教科書のテキストに「現代日本の開化」があった為そこが初漱石で、その後「こころ」という高校現代文のスター的作品が私たちの前に降臨しました。教科書の最初の単元をしていた頃から授業を無視して後ろに載っている「こころ」をなんだこれはと読み進めていたことを思い出します。あの「こころ」の感じ、これが文学かと浅はかながらその驚きに出会う感じ、後に今日まで何作かを読みましたが、毎度期待に応えてくれるというのが夏目漱石作品だと思います。

 心理描写とは、心の声を映したモノローグではなく、景色や仕草などから察するべしということでもなく、あまりにもそこにあるのが自然な内省である。これほどてらいなく、納得のいく心理描写があるかしらと今読んでもなお、新鮮な感動をさせてくれる作家です。

 ということで、ポラン堂古書店にも漱石コーナーが出来上がりました。

 せっかく3作紹介ばかりをしているブログなので、今回は前期3部作のお話をします。

 『三四郎』『それから』『門』

 読みやすく、ファンの多い3部作ですが、どれも主人公は異なり物語は繋がってはおりません。

 ただいずれも恋愛に翻弄されるという共通点と、その恋愛に対峙する主人公の立ち位置のようなものが三部作の順路によって完成されている、というのは読んだ皆さまには疑いようがないのではないかと思います。

 それでは参ります。あくまでまだ触れたことがない方へぜひと勧める文章ですので、お詳しい方はもろもろご容赦くださいませ。




『三四郎』

 九州の田舎から上京した大学生、三四郎が大都会東京に翻弄され、恋に友情に翻弄される物語です。翻弄されてばっかりですけれど、まぁそうやわな、と共感できるところも多く、主に学生生活を書いていますので読みやすい作品です。

 有名なのが、冒頭の東京へ向かう旅のところ。電車が遅れるんですけども、知り合った女性と一旦名古屋に降りるんですよね。女性は黙ってついてきて、宿に入って、同じ部屋で、布団が一枚敷いてあって……三四郎は余っている敷布の端をぐるぐる巻きにして、布団の真ん中に白い長い仕切りを作るんです。で、細長く寝て一夜を越すんです。で、別れ際、女性は言うわけですよ、「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」。

 という、ね。この女性が後に登場するヒロイン、というわけではないですよ。しかしなくてはならないエピソードです。三四郎の人となり、それどころか『それから』『門』へ続く物語のプロローグにふさわしいとも思いますし、夏目漱石の描きたい等身大の主人公の象徴でもあるように思うのです。

 女性と一緒の部屋になったからといってすぐうわーっとなって、わーっとなるわけじゃない。けれど、度胸がないなんて言われたらびっくりするし、恥ずかしい。漱石は三四郎をただ真面目で堅苦しく情けない主人公だと言いたいのではなく、誰しもそういうものではないのかと共感を求めている。なかなか重要な漱石作品のフックです。

 かくして三四郎はしょんぼりして東京に着きます。ここからが本編ですからご安心を。

 『坊っちゃん』をご存知であれば明白だと思うのですが、夏目漱石先生はキャラクターを生み出すことにも長けています。作家当人の博識ゆえの引き出しの多さもあるでしょうけれど、今作はといえば、七つ歳上の研究者である野々宮は知識人でありながらマイペースで不思議な男だし、三四郎を引っ張って振り回す同級生の与次郎には読んでいると楽しいテンポの良さと引力があります。もちろん何を考えているのかつかめない想い人・美禰子も忘れてはいけません。

 『三四郎』は1908年9月から新聞連載された作品です。百年は経っているにも関わらずこの読みやすさや、等身大っぷりは何なのか。3部作の中では激しさのない作品にはなりますけれど、疑いようもなく今も読み継がれている名作です。




『それから』

 父親の援助で悠々自適の日々を送る次男坊・代助が親友・平岡の妻、三千代に惹かれ、悩み葛藤した挙句、その想いを遂げようとする物語。

 えー、正直に言います。夏目漱石作品の中で、一番好きな作品です。夏目漱石ってここまでできるのかと震えながら読んだことを鮮明に覚えています。現存する恋愛小説で、これ以上の作品があるのかとすら思っているのです。

 親の援助とはいえ経済的に満たされ、現状を打破しようというモチベーションもなかったはずの男が、親友の妻をもらおうという一見して異様な心理に辿り着く過程、味方であった家族からの非難、そしてその親友に頼み込む緊迫の場面まで、こうも書ききれる作家は現在いないのではないかと思います。

 言ってしまえば不倫の話なんですが、徹底的にプラトニックな描写に留まっており、その手のものが苦手な方にも不快感は少ないのではないかと思います。ただ、だからといって代助の罪悪が大したものでないはずもなく、親友や周囲を裏切り、自身の退路を断つ過程の苦しさやしんどさは真に迫るものがあります。

 と、まぁ薦めたい気持ちはやまやまなのですが、冒頭を見ていただくと、読むではなく見ていただくと、おっと怯んでしまうかもしれません。『三四郎』のときの読みやすさとはうってかわって漢字が多く、文体が堅い。しかしめげずに読んでみていただければ、存外さらさら読めることがわかると思うんです。私にはまずそれが快感でした。読める、読めるぞ、という気持ちよさでした。

 その文章の良さも合わせて、好きなところが多々あるのですが、何より想いを告げることを決めて三千代を呼び出すところが堪りません。外は雨で、迎えにやった車を元来の厭世的な性格と異様に研ぎ澄まされた感覚を持て余しながら待っている。そして、「輪の音が、雨を圧して代助の耳に響いた時、彼は青白い頬に微笑を洩らしながら、右の手を胸に当てた」──。何度読んでも声が漏れそうになるシーンです。勿論その後の、三千代に告げる言葉も、平岡との対峙も、本当に、夏目漱石の凄さは「月が綺麗ですね」どころじゃないんですよ。

 と、熱くなってしまう『それから』です。とにかく傑作で、この作品を越える恋愛小説は今のところないと言ってもいい凄まじい作品です。




『門』

 親友であった安井を裏切り、彼の妻であった御米(およね、です)を細君にした宗助が罪悪感に苛まれる物語。

 おっ、とまず思うでしょう。『それから』の続編ではないかと、確かに『それから』が好き過ぎた私もそう期待しました。しかし主人公の名前が違っている。その一点だけで、別の物語であることは明確にされているのです。

 実際、『門』の二人の暮らしを読んでみるにつれ、宗助と御米が代助と三千代と同一でないことがとてもおしゃれな工夫と思えるようになります。代助と三千代がどういう未来を選ぶことになったかも、宗助と御米がどういう過去を歩んできたかも全ては読者の想像に委ねられ、即ち真の意味で明かされはしない。絶妙な二組の繋がらなさが、各作品ごとを大きく見せています。

 また、『三四郎』の紹介の際に述べたプロローグについても『門』があることでひとまず着地できていると言えます。布団をぐるぐる巻きにした白い仕切りを、越えられない三四郎、越えてしまう代助、越えた後の宗助、というように、やはり三人には必然と言える順路がある、そう思えてなりません。

 さて、『門』。『それから』が好きな私ですから、この作品にも相当刺さるものがありました。一見すると『それから』よりも文体がやわらかく、読みやすいのが特徴です。それもまた代助と宗助の区別化を助けているのかもしれません。どこか浮世離れした高等遊民であった代助と異なり、宗助、そして妻の御米は質素で、生活感に満ちている。しかし、飄々と生活を送っているように見えても二人は同じ罪を抱えながら生きています。そんな二人の耳に、行方不明であった元親友、元夫の安井の消息が入ってくるのです……。

 素晴らしい場面と言えば、宗助と御米が初めて会話を交わす門(かど)のところです。二人は平凡な、簡単な挨拶をしたに過ぎません。けれども……


 宗助は極めて短いその時の談話を、一々思い浮かべるたびに、その一々が、ほとんど無着色と云ってもいいほどに、平淡であった事を認めた。そうして、かく透明な声が、二人の未来を、どうしてああ真赤に、塗りつけたかを不思議に思った。 


 平凡な生活の中に垣間見える、互いへの、罪への、安井という男への緊張感がひりひりと、文章の良さとして沁み入ってきます。

 三部作の三部目だけああって、残り二つを後回しにしても読んでほしいという作品ではないのですが、とても味わい深く考えさせられる、見事な作品です。




 以上です。

 夏目漱石氏といえば、いち早く口語文体を採用した作家の一人です。それだけあって、100年後であろうと、読みやすく、美しい文章だと現代人でもわかる魅力ある作品が多い。

 最初は文学をあっさり食べやすく読めることの楽しさから、果てはそのテーマ性の濃さかさや胸の裡にあらゆる感想が生まれることの充実感から、漱石、今でもたくさんの入口でハマれますよ。おすすめです。

 ぜひポラン堂古書店のおすすめコーナー、もしくはお近くの本屋、もしくは青空文庫から、一度手にとってみるのはいかがでしょうか。

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