架空喫茶めぐり
こんにちは。
お盆も過ぎて、8月も折り返しまして、夏休みの終わりなんて言葉が聞こえ始めると必然として夏の終わりも見えてくる、そんな季節となって参りました。とはいえ猛暑はまだ続きそうなので、引き続き対策して、身体をいたわりつつ過ごしていきたいところです。
本日の表題は「架空喫茶めぐり」。
フィクション、といってもこのブログの場合小説ですが、その中の喫茶店やカフェをめぐろうではないかという企画です。早い話、いつもの三作紹介、テーマは「喫茶店・カフェを舞台にした小説」というところです。
現在本屋さんに並ぶ小説には、どれくらい美味しそうなお菓子やお茶、素敵なカフェが描かれた書影があるでしょうか。普段はあまりそれらを手にとらなかった私ですが、以前バレンタイン時期に書店のコーナーにそういった本たちの並ぶ棚に行き当たり、そこには現実にはない、それぞれの作者が想像上でつくり上げた理想のカフェたちがあり、その賑やかさに目を奪われたものでした。
そういう架空の店名を並べた記事を作ってみたい、と実は長らく考えていた企画です。
いつものように記念日にかこつければ、8/1はカフェオーレの日、8/8はホールケーキの日、8/21はおいしいバターの日、8/22はショートケーキの日など、かこつけ放題です(何なら8月でなくとも毎月何かしらかこつきそうな記念日があったのです)。
さてみなさん、喫茶店・カフェな気分になってきましたでしょうか。
それでは素敵な架空喫茶・架空カフェを3店ご紹介いたします。
椰月美智子『純喫茶パオーン』
なんといってもこの装丁。単行本発売の宣伝がTwitterさん(現Xさん)に流れてきたとき、一目で恋に落ちたのを覚えています。シンプルに一番好みの色といってもいいかもしれない、ターコイズブルー、華美過ぎないイラスト、何より気の抜けそうな『純喫茶パオーン』というタイトル。いつ見ても惚れ惚れする、可愛らしさです。
内容も可愛らしく、視点人物となる来人(らいと)の小学五年生の頃、中学一年生の頃、大学一年生の頃の三章構成で、一つの町の素朴な喫茶店を中心にした物語となっています。
この企画の意義として、お店を紹介致しますと、「パオーン」は来人の祖父母が営む、創業約50年の古き良き純喫茶です。純喫茶、ときけばレトロな感じという漠然とした印象を持たれるかもしれませんが、わりとリアルで、具体的に言えば、喫煙OKだったりします。
いつもサービスいっぱいにぎりぎりまでコップに注いだミルクセーキを、腰の曲がったおじいちゃんが何故か神がかり的に一滴も零さず持ってきてくれたり、ナポリタン、オムライス、ミックスサンドなど、調理担当のおばあちゃんが、特に変わった作り方はしていないのに絶品の料理ばかり作ってくれたりする、そんな素敵な喫茶店です。
ただ、温かくてほんわかするのは疑いようがないのですが、店主のおじいちゃんおばあちゃんにしろ、純喫茶パオーンにしろ、それほど古き良きを有り難く思いましょうというような押しつけがましさはなく、淡々としていて読みやすい。来人もそれほど祖父母想いの良い子とばかりは描かれないませた子どもだし、彼の友人たちも憎めないけれどほどほどに勝手だし、おじいちゃんはよく適当にあしらわれているし、「パオーン」の店名の由来も万人がわかるあの動物の鳴き声でしかなさそう。けれど子どもたちの成長も「パオーン」も、なんやかんや仲の良いおじいちゃんおばあちゃんもずっと見ていたい良さがある。完全無欠な理想のオアシスというより、きっとどこかありそうなオアシスという感じが心地良いのです。
表紙を裏切らない爽やかで可愛くて素敵な一冊です、ぜひ。
内山純『土曜はカフェ・チボリで』
これまた万人が手を叩いて歓迎するに違いない、素敵な書影です。
左右対称(こちらは本編上でもキーワードだったり)に近しい表紙には中央に青年、見ようによっては少年がいます。彼こそ「Cafē Tivoli( カフェ・チボリ)」のオーナーであり、現役高校生、この作品の核たるオノザワレンくんなのです。
チボリという単語に博識な方はぴんとこられるかもしれませんが、こちらのカフェはレンがデンマークのチボリ公園のような居心地の良い場所を目指してつくったカフェであり、ビールも紅茶も料理もデンマーク式のメニューになっています。
偶然辿り着くことが困難な穴場にあり、アーチ形の鉄扉、噴水、並木道、石畳の通路があってその先に、北欧風の一軒家のような真っ青な屋根の平屋があります。扉を開けば、黒ベストと蝶ネクタイの老紳士に出迎えられ、高そうな額縁の絵画が目立つものの、落ち着きやすいモダンでシンプルな内装をしている……。
このあたりでお気づきかと思いますが、若干やりすぎています。
さらにオーナーは高校生で、平日は学業優先、日曜は神が定めた安息日だからという理由でお休み(キリスト教と縁のある作品であったりもします)、要するに素晴らしく居心地がいいにも関わらず週に一度、土曜にしか開かないカフェなのです。
このあたりもまたやりすぎです。理想的過ぎる、というと視点人物をはじめとしたお客たちは皆もっと毎日開店してほしいと思っているので語弊がありますが、物語的過ぎるという意味で夢のよう、という感じの「やりすぎ」でしょうか。ともあれ週一しか開かないのであれば用事をずらしてでも行きたくなる、そんな魅力的なカフェなのです。
物語、というのもまたこの本のキーワードです。カフェ・チボリの客1号となる語り手ですが、彼女は児童書を扱う老舗の出版社に勤めています。
デンマーク、童話、というとアンデルセン。
カフェ・チボリに集う個性的な常連客が、オーナーのレンや仲間たちに身の回りに起こった謎について語り、童話をヒントに謎を解き明かしていく。そんな連作短編集です。
一見気圧されるほどの豪奢なカフェながら、井戸端会議的にいつもの仲間が心地よく集うコミュニティなカフェ・チボリ。どんなところか気になった方はぜひ。
近藤史恵『ときどき旅に出るカフェ』
架空の喫茶・カフェの物語に興味がある方、もしくは架空の喫茶・カフェをこれから生み出そうとしている方、万人に読んでほしい作品です。
わかりやすいコンセプトとその奥にある深いテーマ性、客である主人公とカフェオーナーの自然な関係性、このジャンルにお馴染みとなる日常の謎解き連作短編という形式を無理なく成立させている巧さ、どれも申し分なく、素晴らしい手本のような一冊と言っていいでしょう。
まずコンセプトとなるカフェですが、その名も「カフェ・ルーズ」。毎月一日から八日を休み、九日から月末まで開店している、というのが特徴で、その休みとなる月初、オーナーは海外や国内を旅し、様々な料理のアイデアを持ち帰って、メニューに反映します。オーストリアの炭酸水「アルムドゥドラー」や、ロシア風チーズケーキの「ツップフクーヘン」など見たことも聞いたこともないメニューが並び、訪れた客は近所のカフェだろうと旅に出た気分が味わえるというので、「旅に出るカフェ」なのです。
主人公の瑛子は会社勤めの長い30代の女性です。彼女はふらりと「カフェ・ルーズ」に立ち寄りますが、そこで以前に「カフェを開きたい」という理由で会社を辞めた後輩の円と出会います。カフェなんてうまく行かないし辞めた方がいい、と彼女に言ったことを覚えていた瑛子は円がとても良い店を開いていることに最初罪悪感を覚えますが、次第にそのカフェの居心地の良さにはまり、円とも同僚であったとき以上に打ち解けていくのです。その身近にありそうな、落ち着いた関係性が心地よく、二人の会話もとても微笑ましい。
謎解きの要素にもわざとらしさや無粋さはなく、カフェを楽しむ雰囲気のまま、一つ一つの話を楽しめます。ただしミステリ作家としても多くの名作を生み出す近藤史恵さんの作品ですから、優しく温かな事件たちばかりではなく、ひやっとするような、ちくりと刺すような事件も散りばめられています。それもまた読みやすいエッセンスの一つには違いなく、ますますファンにさせられるのです。
瑛子はやがて、海外の全く知らない料理名に対し、説明をきくことなく「食べたい」と思うようになります。自身の円に対する、というよりもっと根源的な外のものへの信頼感がこの物語を開けたものにしていきます。押しつけがましくなく、多様な価値観に心地よく触れられる、「いま」を描いた作品としてもおすすめです。
以上です。
読みたいと思ったカフェはございましたでしょうか。
今回のテーマの為に喫茶・カフェものを雑多に読んでみたのですが、なかなか奥深いジャンルです。ネタバレになるのであまり多くは言えませんが、共通してどれも「多様性」を描こうとしているように思うのです。人と人との交差点やコミュニティとなる、一つの場所を創り、そこを舞台にした物語を連ねるということは、必然として「社会」や「多様性」と向き合うことになるのかもしれません。
もちろん、そうお固くあるべきではない、癒しの効果もそれぞれの作品がちゃんと目指していて、どれも読みやすさというのを大事にしています。
ついでに言うと「カフェ・チボリ」「カフェ・ルーズ」がどれも独得な定休日・営業日をもっていたことも面白かった。いつか架空喫茶・架空カフェの営業時間についてまとめてみたい、それを誰かと語り明かしてみたいと空想いたしました。実現するには際限がないでしょうけれど。
そんな感じで、夏の癒しを求める方はぜひ、手に取ってみてください。それでは。
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