ブックサンタ応援企画☆おすすめ本紹介①
こんにちは。
お久しぶりですね。約3ヶ月空きまして、このゆるーい挨拶からの書き始めすら、妙な感慨が伴っております。元気でしたか。初めましての人は初めまして。
12月、年の瀬です。この素敵で賑やかな季節に合わせて2日連続で記事を上げていきたいと思います。
今回はポラン堂古書店サポーターズの一人、はねずあかねさん発案の特別企画「ブックサンタ」を応援する、おすすめ本紹介でございます。
ブックサンタ──を、皆さん、ご存知でしょうか。
『ブックサンタ』は、NPO法人チャリティーサンタが全国の大変な境遇に置かれた子どもたちに本を贈るため2017年に書店と連携してスタートした社会貢献プロジェクトです。
本を贈りたいと思った人が本を買うと、チャリティーサンタをはじめとした全国数百のNPOを通じて、子ども達へ本のプレゼントが届きます。
というのが公式HPの文章の引用です。
要約すると、「ブックサンタ」の参加書店に行って、レジで本を買って、その場で寄付をして帰れば、その本は、ボランティアさんの手によって本がほしい子どもたちに届けられるという、全国的に展開している素敵企画なのです。
公式SNSからの情報ではなんと、12/14の時点(9月の募集開始から83日目)で72826冊の寄付が集まっているとのこと。2017年からスタートとありますが、今やとんでもない規模の企画となっております。
いち早く「ブックサンタ」を知っていたはねずさんより、かねてから、当ブログで応援するような企画をやれたらいいなという話をもらっておりました。というのも、公式SNSにもグラフ等で説明なさっておりますが、絵本やヤングアダルトは集まっても「小学生向けの本が不足する傾向がある」とのことなのです。幾度となくテーマに絞り、テーマにかこつけ記事を書いてましたこちらのブログ……「小学生にプレゼントするなら」というテーマに応えられないはずはありません。
そんなこんなで、夙川グリーンタウンにて営業中の古本屋『ポラン堂古書店』を勝手に応援する我らポラン堂古書店サポーターズ、が、力を合わせ、「小学生にプレゼントしたい本紹介」をさせていただきます。
2日にわたってお送りいたしますが、初日は香椎さん、梅子さん、そして私、あひるで参ります。お二方の本紹介に気に入るところがあれば、ブログのカテゴリ「サポーターズ寄稿」に絞っていただくといくつも良い記事がありますのでぜひ。
※ポラン堂古書店はブックサンタの参加書店ではありません。対象書店は公式HPを確認ください。ただ、本を選びたい、まずどれか考える為に読んでみたいということであればポラン堂古書店も、ポラン堂古書店の我らが先生(=店主)も、きっと力になってくれます。ですので、ポラン堂古書店にもぜひお越しいただければです。
トーベ・ヤンソン『たのしいムーミン一家』 ~香椎さん~
このごろ、「20周年記念作品」「〇〇年ぶりの新作!」といった作品に多く触れることがあり、子どもの頃に好きだった作品を懐かしんだり、もう一度見直したりする機会が多くありました。
私は本を読まなかった子どもだったので、すべてアニメや漫画、映画作品なのですが、今なら意味がわかるような内容があったり、「子どもながらにこういうことを思って、作品を楽しんでいたのかもしれない」と自分を考え直したりするのも面白かったです。
そんなことをしている中で、「子どもの頃に見た作品の深い話って今でもよく思い出すな…」と思い、今回「ムーミン」を紹介してみようと思いました。
とはいえ、私がムーミンを読んだのは最近になって初めてです。アニメにも全く触れてきませんでした。高山みなみさんド直球世代なのに、本当に不思議です。(もちろんキャラクター自体は認知していました。)
初めて読んでみて、すごいなと思ったのは、何に対しても意味を求めないところでした。
ムーミントロールはなんで友達をムーミン屋敷に招き入れるのか、ヘムレンさんはなんで切手や植物を集めているのか、スナフキンはなんで旅をするのか、何の説明もありません。
極めつけは、トフスランとビフスランの夫婦がなぜモランに狙われているのか、誰も聞かずに夫婦を守ったところです。最後まで読んでみると、おそらくトフスランとビフスランの方が悪いことをして、モランは当たり前の行動を取っているようなのですが、ムーミン一家は何も疑わず、夫婦のためにモランに立ち向かっていきます。夫婦の方が悪かったのかも、と気づいたヘムレンさんも、気づかなかったことにして見過ごします。
この「意味をわざわざ書かない」ところが、童話では子どもたちの想像力をかき立てる余白なのかもしれません。しかし、何に対しても意味を求める現代の社会人としては、意味のないことって大事だなと思わされてしまいます。(この一冊しか読んでいないので、他で意味が描かれているかもしれませんが。)
生きる意味とか、働く意味とか、ビジネス書の常連ですが、結局は死ぬまでの時間つぶしですし、少しくらい意味を考えないでいる方が、現代人にはいいような気がするな、と読んでいて感じました。
それと同じくらい、他人に「なんで?」と尋ねないのもすごいなと思いました。
尋ねたものの、自分に理解できない答えが返ってきたら、その人はもう「理解できない人」になってしまいます。理解できないものは怖い、関わりたくない、で色々な問題が生じているのを考えると、だからムーミン一家は色々な人が同じ空間で過ごしていられるのかな、とも思います。
子どもたちには考えて欲しいけど、大人には考えないで欲しいと、支離滅裂なことを申しておりますが、子どもと一緒に楽しめる作品なことは間違いありません。
ただ、プレゼントする際はお気を付けください。作中に「この後どうなったのか、おかあさんにきいてみてください。きっと知っていますよ」と、子どもに質問を促す文言が出てきます。心の準備をしてからプレゼントされることをおすすめします。
エリナー・ファージョン『ムギと王さま』 ~梅子さん~
小学生向けの本を紹介するとなって、シリーズものを封じられたからには、ズッコケ三人組とかぎばあさん、ローワンを急いで引っ込めないといけない。急いだのだけれど、もしも間に合わずにタイトルを見てしまわれた方がおられる場合は、申し訳ないのですが自分用に調べていただけると助かります。
シリーズだけど一話完結の落第忍者やラジコン大海獣も、やめておくべきと良心以外の部分が言っている。……良心が痛んできたので、タイトルばかり並べる前置きから本文へ進もうと思います。
童話と言われて始めに浮かぶのは、白雪姫。憧れた事もないし、桃太郎ほど読み聞かせてもらったわけでもない。アニメーション映画を見た事もない。ただ、強烈にあほな姫だったと覚えている。知らない人に食べ物をもらったり、家族からの忠告をおざなりにしていけない、という教訓を受けたんだろう、たぶん。
教訓を受けたなら、白雪姫は寓話だろうか。寓話だろうな、けど童話でもあるし、そもそも教訓を含まない物語なんてそうそうないだろう。まったく寓話なんて難しい言葉があるものだ。間違いなく大人言葉です。使い分ける必要もあまり感じないので、使いたくない言葉だから最後に一度だけ使うことにする。
『ムギと王さま』は、振り返ってみれば寓話だった。
大人が大人に本を選ぶ時よりも、大人が子供に本を選ぶ時の方が、この教訓というものを気にする事がある、らしい。本当に噂でしか聞いた事がない。けど、中々に重い期待だと思う。結局面白くなければ、大人も子供も関係なく本なんて読まないだろう。
それに特別教訓的でない本からでも、子供は教訓を勝手に受ける。だから物語はあほらしくて笑いに塗れたものでいい。あほらしくて笑われる事を嫌だと思うか、誰かを笑わせる事ができると思うかも、きっと勝手に選ぶだろう。
ただ、それが童話なら、スパイスは恐怖だといい。暴力やセクシャルの過激描写が欲しいわけではなく、ぞくぞくという興奮にも似ているもの。夜道で振り返ってしまった時の、背筋の冷たさを子供と大人でも共感できれば楽しいだろう。
読者同士の共感を得るために、物語には力が求められる。読者からすると突拍子もない場所や時にある事への、やはり共感。月が欲しいと王女様が泣いたせいで、西から夜が明けてしまうなんて、現実には起こらない。だが、その過程には思い当たる事がある。
大きな声で伝えられる間違った情報を鵜呑みにして、勘違いしたまま何かを攻撃する。なんて、見た事も聞いた事も、ひょっとするとやった事すらあるのではないだろうか。逆にやられた事があるなら、『ムギと王さま』はその時の傷を抉るかもしれない。
傷がなければ、楽しいだけの物語だ。いつか振り返る時も楽しい童話だ。子供に勧める本として、『ムギと王さま』はふさわしく思う。
世界の怖さも優しさもまだ知らなくていい彼らに。悪意も善意も全てまとめて「あほや」と笑える、最強の存在へ。
小川未明『小川未明童話集』 ~あひる~
物語の何が楽しいかって、読んでいるうちに想像と違うことが起きるからだと思いません? 予想していた犯人じゃなかったとか、急に主人公が死んだとか、……そんなどんでん返しが素敵という話だけではなくて、もっと広大な意味で。
そりゃあ、大ピンチから巨悪に勝つとか、出会いから最悪の二人がカップルになるとか、ベタを信じ突き進むからこそ面白い物語は今でもたくさん生み出されています。けれどもベタな展開だって想定外が細かくあるから、ドキドキできるというものでしょう。
物語とは作者が読者のためにつくったものです。楽しませる、感動させる、考えさせる、あるいは心に残るようなショックを与える、どれも簡単なことではないのは、読者にだって想像力も創造力もあるのだから、それらを越えてきてくれなければならないからです。
子ども相手だとそれは簡単でしょうか。敵に負ける前にピンチになる必要も、出会って仲良くなる前に喧嘩を挟む必要もない? そんなことはないでしょう。『桃太郎』を初めて読んだときなんてもうちょっと思い出せないですけども、彼が旅立つ姿に、あーぜったい鬼退治成功させて帰ってくるだろうなと思いましたよ私。きっと思っていたはず。そして、そこに物語にはまるきっかけはなかったと思うのです。
『小川未明童話集』、装丁の美しさや可愛さ、中の挿絵のお洒落さにどれもはしゃぐものがありますが、この長い前振りを挟んで私が推したいのは、この一冊に収録された23作品、冒頭読んでから結末までどれ一つ予想通りに進まない童話たちばかりだということです。
それはもう大人、子ども問わずですので、試しに通りすがった大人の方に訊ねてみたい。
「女の子が庭で人形と遊んでいます。人形のことが大好きで、一人で遊んでいても寂しくありません。そんな女の子を乞食の女の子が見つけ、羨ましそうにじっと見ています。どんな物語になると思いますか?」
人形と遊んでいる子が乞食の子を招きいれて仲良くなる? なるほど。乞食の子が勇気を出して女の子に話しかけて仲良くなる? なるほどなるほど。仲良くなればいいと思ってます? 思いますよね、思った人を私は責めない。
でもですね、小川未明さんという人は、──たとえ童話として読む子どもが相手だとしても──読者を甘くみちゃいないんですよ。この女の子たちの作品のタイトルは「なくなった人形」です。この物語は、魔がさして盗んでしまう乞食の女の子と、彼女が盗んだと気づいてしまう人形の持ち主の女の子の話なのです。
小川未明さんといえば代表作「赤いろうそくと人魚」を思い浮かべた人がいるかもしれません。その作品から未明さんの印象を心に残している人は、残酷さについて思い当たるかもしれません。ただね、この作品たちを読んで感想を交換なさることがあれば、そこに残酷という言葉が出てくるのであれば、ふと頭の中に過ってほしいんです。起きていることは、決して「罰」ではないということ。悪いことをしたから鉄板で焼かれるような、嘘をついたから大穴に落ちるような残酷さを未明さんは絶対に書いていない。
人形を盗んだ子に罰は与えられませんが、人形を盗まれた子は眠れなくなるくらい悩みます。人形が心配だとか、どうやって人形を取り返そうか、とかではありません。その盗んだ女の子を許すか、許さないかをです。
それが残酷なのか、予想通りに進まないこと、ままならないことほど深みがあり、それもまた残酷と呼ぶのか、読者である私も、考えているだけで夜は更け朝が来てしまいます。
さて、小川未明の23作、冒頭を読んだ後どんな物語になるか予想し合うとか、読みながら驚き合うとか、読んだ後の感想を交換し合うとか、お子さまと一緒でも、大人同士でもみなさんにしてみてもらいたいなと勝手ながら思っております。そうして私と気持ちを共有してほしい。特に「負傷した線路と月」がお気に入りで、原稿用紙数十枚の感想文を書き連ねたいほど気持ちが溢れて仕方がないものですから。
物語を読んで、自分の想像力も創造力も瞬く間に飛び越えられて、すげぇと思ったこと、それが私が本読みに引きずり込まれたきっかけです。こんな楽しいことを誰かにプレゼントできるのならば、これほど素敵なことはないと思うのです。
以上です。
香椎さんも梅子さんもありがとう。
小学生にプレゼントするのにおすすめ、といういつもより絞られたテーマではありましたが、各々楽しみながら本を選んで、文章を書けたんじゃないかと思います。
私に至っては、本屋に行って、架空の、顔も名前も知らない小学生を想定して、その子に届けたいプレゼントを考えようというコアな本屋の楽しみ方に目覚めてしまいました。プレゼントを考えるのは楽しい、大好きな本で選んでいいならなおさら、と。
ブックサンタの企画は12/24まで、各書店で実施されています。興味を持たれた方はぜひ、まだ間に合いますので飛び込んでみてください。
次回更新は明日、はねずあかねさんと桜澤美雅さんにおまかせ予定です。お時間ある方はまたお付き合いくださいませ。
それではまた。
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