10月21日生誕、乙一さん「たち」の短編特集
こんにちは。
秋が深まって参りましたが、皆さまはなんらかの秋を満喫なさっていらっしゃいますでしょうか。
さて、今回のお話ですが、
10月21日はある有名な作家さんのお誕生日でした。
そう江戸川乱歩さん……だけではないのです。
忘れてはならないお三方、乙一さん、中田永一さん、山白朝子さんのお誕生日です。ついでに『シライサン』や『サマーゴースト』で監督や脚本をされている安達寛高さんもお誕生日ですね。そっちが本名なんだそうですね。はい。
……えー、ご存知の方には言わずもがななんですけど、皆さま同一人物でございます。もちろん、江戸川乱歩さん以外。
1996年に17歳で『夏と花火と私の死体』でデビューした乙一さんは、以後2002年に『GOTH リストカット事件』『ZOO』などが大ヒットして中高生たちに熱狂的なファンを生むほどになりました。
2005年以降には祥伝社の恋愛小説アンソロジーなどで中田永一、KADOKAWAの『幽』などで山白朝子という名前が見られるようになりますが、最初はその正体は隠されていたのです。全て同一人物であると、2011年に乙一氏のツイッターにて明かされたとのこと。
今となれば上記にネタにしてしまっているように公然の事実で、ダヴィンチには乙一、中田、山白の三人の対談集が載ったり、誰かの帯を誰かが書いていたり、当人ももう、やってんなって感じですけども、当時同一人物と発表された瞬間の驚きをいかほどのものだったか、味わえなかった自分が残念でなりません。私が中田氏、山白氏をちゃんと認識したのは2011年より後で、乙一の別名義として知ったわけですので。
ということで、大方予想頂いている通り、今回の3冊紹介は3人から1冊ずつでございます。それぞれの著者名義の特徴を捉えやすいように短編集で参ります。
乙一『ZOO1』
単行本版では『ZOO』、文庫版では赤と青で『ZOO1』『ZOO2』が発刊されています。
ちなみに書影でみるとわかりやすいですが「乙」と「Z」は告示しており「一」はズーとカタカナ読みする際の伸ばし棒に見える、そんな遊び心のあるタイトルです。
私が中高生の頃、読書好きの同級生に好きな作家を聞けば必ず名前が挙がる、集計をすれば一位になるんじゃないか、というくらい、疑いようもなく大人気作家さんだった乙一さん。特徴を言ってしまえば、エロ無しグロナンセンスです。
あんまりにも突き抜けた容赦のなさは、数多くの遠慮深い小説たちに比べて格好よくも見えてしまうのかもしれない。一方、一部興味本位で読んだ若き読者さんにはトラウマを植え付けてしまったかもしれないとも思います。
「SEVEN ROOMS」なんてもう、私、若い時読んでなくて良かったと思っちゃいましたし。幼い姉弟がいきなり後頭部を殴られて部屋に閉じ込められるのですが、他六つの部屋にはそれぞれ若い女性たちが……、ここからは誰かのトラウマを誘発してしまいそうなのでやめときましょう。でも一番心に残ったかもしれない。これも面白かったって感情の一つかもしれない。
今回記事を書くにあたり乙一さんを読みながら、深く感心したのが、ちょっとえげつけないくらい読みやすいってところなんですよね。もちろんこの方の潜在的な文章の巧さもあるのですが、展開が残酷で、残忍であることが作品の骨格をはっきりさせ、何が不幸か悲しみかは目を凝らす必要なく眼前に広がり、最後の展開にはカタルシスすら起こる。惹きつけられつつも、ちょっと怖いなとすら思いました。
どれもキレッキレで鮮烈で面白いです。刺激が欲しい方におすすめです。
中田永一『百瀬、こっちを向いて』
うって変わって恋愛小説集です。まじでうって変わっています。
とはいえ、あの乙一さんが胸キュンの恋愛小説なんて、のように馬鹿にできるものではありません。本当に、巧いんです。
表題作は早見あかりさん主演で映画化されているので、有名かもしれませんが、私のお気に入りは「なみうちぎわ」と「小梅が通る」。どちらも漫画的非リアリティな要素がありつつも、登場人物の心情や風景に文学的に巧みな描写が散らされている見事な作品です。
「なみうちぎわ」。高校一年生だった主人公は水難事故に遭い、五年間の昏睡状態を経て、21歳で目を覚まします。当時、小学六年生であった小太郎という男の子の家庭教師をしていたのですが、彼を助けようとしたことが事故のきっかけでした。五年間見舞いに通っていたという、高校二年生となった彼と再会します。年齢はひっくり返らないものの、学年は追い越された彼は引き続き主人公に世話を焼きますが、主人公は彼へもう自分のところに来る必要はないと告げます。償いは充分だと。しかし小太郎には別の感情があって……。
骨格はベタかもしれませんが、心情描写や景色とのメタファーが丁寧で、文学的にも冴えた作品だと思います。特にオペラグラスの開く描写が素晴らしい。
「小梅が通る」も誰もが好きなベタをなぞりつつグッとくる作品です。美人過ぎて目立ってしまう少女が、注目されないように、犯罪被害に遭わないように、逆に冴えないメイクをして学校に通っているというお話。逆メイクを「通りをあるいていていると、だれもわたしを見ないことにおどろいた」「心が解放された」なんていう、読者に敵を作ってしまいそうな彼女ですが、そんな彼女も恋をすれば、その容姿に本気を出し、走らなくてはいけなくなるわけです。
中田永一さんは端的にいうと恋愛小説を書くときの名義でしょうけれど、えてして乙一さんの潜在的な文章力、文学的な素養を存分に発揮できている名義でもあります。
この後も恋愛短編集を複数書いていますが、特に『百瀬~』は誰にでも薦めたい、大好きな傑作短編集です。
山白朝子『私の頭が正常であったなら』
こちらの名義がデビューしたのが『幽』という雑誌であったことからもわかるように、ホラー、幻想作家として執筆するときの名義と言えます。女性の名前ではありますが、あまり性別的な特徴は強調されていません。
乙一氏のグロナンセンスさを引き継いでいる印象もあり、この短編集においても頻繁に子どもが死んでしまうという特徴があります。しかし、隣り合わせにある霊的な現象や幻想の存在は、どちらかというとそうした残酷さを和らげる力を持っています。乙一さんにとって現実とは残忍で、幻想とは一筋の救いなのかもと思ってしまうほどです。
この作品集は特に、死という絶望から、その先を描くものが続いています。もちろん山白朝子さんになったからといって、安易に「救い」からの「ハッピーエンド」とはなりません。こうは捉えられないか、こうやって生きていけないだろうかという模索の後が見え、人によっては温かくすら感じるかもしれないという内容です。
例えば表題作「私の頭が正常であったなら」は夫からの家庭内暴力で離婚を選んだ主人公が、とても残酷なかたちで子どもの命を奪われるという始まりです。もう読みたくないわっていう人、すみません。山白さんは、というか乙一さんもですけど、それだけで終わるはずはないんです。主人公は自ら命を断とうとしますが母や妹に止められ、薬を処方しながらなんとか生きています。一日一回家族に付き添われて散歩をするだけの日々ですが、ある時から「助けて、ママ」という声が聞こえ始めます。母や妹を心配させてはいけないと、幻聴が聞こえるなんてことは隠すのですが、次第にその声がある場所を通るときにしか聞こえないこと、そして娘の声とは違うことがわかってくるのです。そしてタイトルが回収される……おお、どうなるんや、と思いませんか。
ホラーと言える怖さ、幻想ものと言える難解さは、良い意味でなりを潜めています。ただ余韻が残る作品が多い。そしてこの作品集で言うならば、後味が悪くない作品が多いのです。ちょっと試しに手に取ってみていただければ。
以上です。
乙一さんのところで述べたように、他二人も異常なリーダビリティがある作品が目立つのですが、言ってしまうと、この作家ならここから何かを起こすに違いない、どうにかしてしまうだろうといった期待、読者からすれば安心感が、頁を捲る手を早めるのだろうと思います。
ちなみに前置きとなった作家説明を裏付ける為にWikipediaを参照していたのですが、乙一さんって奥さんが映画監督の押井守さんの娘さんで、今や押井守さんの義理の息子さんなんだそうです。謎だったイメージが、今や華やかなイメージになりつつありますが、何しろ多彩ですから、今後の展開にも期待するしかない作家さんです。
それではまた。
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