ハロウィンに何かが起こる小説特集
こんにちは。
10月が終わろうとしていますが、明日10/31と言えば「ハロウィン」でございますね。
コスプレするわけでもなく、誰かにお菓子を要求するわけでもない方には、イベントとしてそこまで身近ではないかもしれません。
ただ、私の個人的な印象に過ぎないかもしれませんが、昨今『呪術廻戦』や『東京リベンジャーズ』などの人気漫画にて、相次いでハロウィンに物語を大きく動かす事件が起きたり、今年の『名探偵コナン』の映画が「ハロウィンの花嫁」だったり、キーワードとして流行しているなあという気がします。
そこにはハロウィンに、「若者のイベント」という象徴的なイメージを、ある意味で多くの世代が好意的に解釈したのだろうという形跡が見えますし、一時期批判的であった報道メディアもコロナ禍を経て、味方につくようになったんじゃないかと昨今思えます。
そんな最近の話ばかりしましたけれど、今回取り上げるハロウィン小説は、1964年、1942年に発刊された有名な作家の二冊です。現代まで長く読まれている、間違いなく面白い小説ですので、ぜひどうぞです。
レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』
学生時代から先生(ポラン堂店主)に勧められ、ハロウィンにはこの作品とイメージがもうこびりついてしまった、先生の大好きな一冊です。
確かに、今回ハロウィンの特集記事の為ハロウィン小説を探し求めましたが、今回の記事に取り上げたもう一作もですらハロウィンの日がきっかけというだけでその日だけの物語ではありませんし、もっとあって良いはずなのに、最近の小説でもハロウィンが舞台というものがあまり見当たらなかったので、実質、ハロウィン小説の王冠はこの作品にあるのだろうと本当に思います。
あらすじの最初にある「万聖節」とは11/1のこと、ハロウィンとは万聖節前夜のお祭りを指します。古代ケルトでは一年が11/1~10/31だったのもあり、大みそかにあたる10/31は悪霊や魔女が町をさまようので家に入れてはいれないようかがり火(オレンジ色)を焚くという風習があったとか。
こんな由来の話は冒頭でするべきだったと思っているのですが、何せ、『何かが道をやってくる』の世界観にはそうしたハロウィンのイメージがしっかりと投影されているのです。
13歳の少年、ジムとウィルの住む町に怪しいカーニバル団が訪れたことから物語は始まります。その名も「クガーアンドダーク魔術団」という、とにかく怪しい団なんですけれど、彼らの持つ「回転木馬」がやばい。ジムとウィルの二人は、回転木馬が逆回転し、人を若返らせているのを見てしまうのです。
一方、この作品のもう一人の主人公、チャールズ・ハロウェイ(54歳)の紹介も忘れてはいけません。彼はウィルの父親で、図書館の管理人です。40歳で初めての息子を持った彼は、息子が成長するにつれ、キャッチボールもままならないほど老いた父親である自身に負い目を持ってしまっています。ジムとウィルをいつも眩しそうに見守る一方で、どこにでも駆けていく彼らに羨望の眼差しを送るのです。そんな彼が時を操る回転木馬が起こす町の騒動に相対するときどうなるか。
──言っておきますけれど、チャールズ・ハロウェイ、無茶苦茶かっこいいです。息子たちに自分が何者か説明し始める台詞、そこからの「遅まきながら、おまえたちを助けようとしているのだよ」に鳥肌でございます。
ぜひハロウィンの空気、そして素晴らしい父と子、存分に味わっていただければです。
エラリイ・クイーン『災厄の町』
フレデリック・ダネイとマンフレッド・ベニントン・リー、の従兄弟同士で探偵小説を書く、その際の筆名があの有名なエラリイ・クイーンです。作中登場する探偵の名も「エラリイ・クイーン」で、推理作家です。
『災厄の町』はエラリイ・クイーンが気に入って滞在する町「ライツヴィル」を舞台にした作品です。ライツヴィルは本作以外に何作もの舞台になりますが、『災厄の町』はその一作目、初めて訪れるところからとなります。
私はこの作品でエラリイ・クイーン初読みなんですけれど、過去シリーズ読んでいないと楽しめないということは全くありませんでした。むしろこの作品から読んだのは大当たりだったんじゃないか、というくらい読みやすく、登場人物たちに愛着がもてて楽しかったです。
四六時中、推理小説のネタを探す推理作家、エラリイ・クイーンは「ライツヴィル」に訪れ、その街並みを気に入ります。しかし軍需によって景気がよく、人口も増えた町でホテルの部屋はとれず、ただ家具付きのアパートもない。困り果てたとき、彼が作家だと口にしたことに不動産屋は反応し、一つの曰く付きの住居を勧めます。
それがライト家の次女、ノーラとその夫の新居となるはずの家でした。四年前、結婚するはずだった二人は夫・ジムの突然の逃亡で破綻。花嫁だったノーラはふさぎ込み、実家である隣の屋敷に籠った為、新居は誰も住まない家となったのです。ノーラの両親はエラリイが作家であるというだけで大げさに彼の滞在を歓迎するのですが、そんなさなか、四年ぶりにジムが帰ってきて、ノーラと再び夫婦になります。夫婦は四年間などなかったかのように家族や町中に祝福されます。しかし、あるハロウィンの夜、ノーラの様子がおかしいと気付いた彼女の妹パトリシアとエラリイはノーラの部屋に忍び込み、三枚の手紙を見つけます。それはジムの筆跡による、妻の殺人計画と思える内容だったのです。
序盤も序盤のあらすじですけれど、展開は二転三転しますし、簡単に予想できるものではありません。登場人物もなかなか魅力的で、パトリシア(パット)がエラリイも口にするように「ワトソン」役となるのですが、不穏な空気の中でも快活で可愛らしく、エラリイが惹かれてしまうのがわかるほど楽しい少女でした。
一つの家と発展途上の田舎町。実は、世間体をテーマとするところもあり、現代にも通じる読み応えのある一作です。
以上でございます。
実をいうと、『何かが道をやってくる』以外、『災厄の町』も例えば『呪術廻戦』もハロウィンであることの必然性を考えるのは少々別の視点が必要になるように思えます。
そのヒントのようなものを『災厄の町』のパットが口にしていました。
「恐ろしい出来事は、──みんな休日に起こったじゃないの」
この場合休日とは、土曜日曜のことではなく、祝日や記念日を指します。エラリイ・クイーンや今回は紹介できなかったのですがアガサ・クリスティーや、ほか日本のあやゆるミステリ作家においても、「祝日・記念日と犯罪」史はたいへん色濃い。それは小説を出版メディアと捉えるメタ的な要素もあるでしょうが、犯人が犯罪を実行するにあたり記念日を選択する心理というのが、ちょっと考えてみると無茶苦茶に興味深いなと思うわけです。
それでもハロウィンの必然性を語るには材料が足りないのですけれど、それもやがて、描かれる作品が増える、という気はします。
そんなこんなでハロウィンの小説、手に取ってみてはいかがでしょうか。
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