推し、をテーマにする小説特集
こんにちは。
本日は、何かにかこつけてやってみたいと思っていた「推し」特集をさせていただきます。折しも11/3は文化の日、現代人の代表的文化の一つではないか、というかこつけ方をひらめいたその翌日、なんと11/4は「いい推しの日」だったのでございます。
これはやるしかない。
なぜこうも、かこつけてやりたかったかというと、本日誕生日の友人を意識したというのが一番大きいのですけれど、そんな内輪ネタはさておいても、「推し」、いまやらねばならない題材だと思います。
推し、の語源となるのは「いち推し」という言葉だと思います。ジャンルでもグループでも、何らかのフィクションの作品の中の登場キャラクターでも、誰かに「薦めたい」「推したい」ほど好きなものを指す言葉です。
またここ数年、何かにはまっている人を表す言葉が、ファン、オタク、信者、~沼の住人など、たくさん流行ってきたに対し、それらから愛される当の対象を指す言葉が不足していたという実情もあったと思います。愛される対象といえば、その為に生まれた言葉が「アイドル」ですけども、コンテンツが多岐にわたる為、「アイドル」にそれらの意味を補えなかった、もしくは「アイドル」の中でも「いち推し」という言葉が生まれざるを得なかったということでしょう。
要するにファンやオタクの目的語としていま、なくてはならない言葉なのです。
「推し」という言葉は、漫画、もしかするとSNSなどの漫画エッセイが発端だったかもしれないと思いますが、今やあらゆるアニメ、ゲーム、ドラマ、小説とエンターテインメントにおいて躍動するキーワードになりました。
私の推しである作家、長嶋有さんの小説『今も未来も変わらない』には、──かつて、人は皆「恋バナ」が好きだった。と、あります。
今は皆、酒の席で恋の話など熱心に語らない。代わりに語るのは「推し」。
ということで、今回は「推し」の小説特集です。ちょっと「推し」文化には馴染めないなという人も、特集とか今更だろうにというくらい馴染んでいる人も、小説という媒体における社会性の面白さも含めて紹介できると思うので、どうぞお付き合いくださいませ。
宇佐美りん『推し、燃ゆ』
「推し」小説と言われて最も多くの人に浮かぶだろう、「推し」文化の代表的小説だと思います。
「文藝」2020年秋季号に掲載されたのち、この装丁で本屋に並びました。本屋で見かけた瞬間の私は、ついに来たかと恰好つけて思ったものでした。何かにはまり心がかき乱されるような心情は、それを疑ったり熱したり冷めたりする感覚は、濃い純文学性をはらみます。そしてそれを、若い作家が見事に証明している。芥川賞をとるのも納得の結果なのです。
この作品のテーマは「推し」、そして「炎上」。
だいぶ昔、「炎上」とは何か、と先生(ポラン堂店主)のお父様に説明を求められたのを思い出します。あの時はきっとうまく答えられなかったと思うのですが、「炎上」とはある出来事を起点に主にネット社会で攻撃を受けること、攻撃を集めることを指します。
「推し」をテーマにするコンテンツには、ほぼ絶対に登場する敵役のようなものですが、『推し、燃ゆ』では起点としてなくてはならない要素となります。
推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。まだ詳細は何ひとつわかっていない。何ひとつわかっていないにもかかわらず、それは一晩で急速に炎上した。
最初の文章はこちらです。ここまで長く説明した前置きが恥ずかしいくらいなんですけど、わかりますでしょうか。ぜんぶ入っているんです。
「推し」は人を指し、「燃えた」は比喩であること。気取ってそれらの言葉を扱っているのではない等身大さ、そして何より、このテーマが純文学たりうる最大の要因である俯瞰的な温度感。
自分が熱中して、愛してやまない対象がネットでバッシングを受けていることを目の前に、冷静に状況や自身の心境を分析できるのです。それはこの作品の主人公が超人的なのではない、いまヒットしているあらゆる「推し」作品の共通項として、この奇妙な俯瞰や冷静さがあり、それらこそリアルな共感を集めているのだと思います。
この作品の「推し」はアイドルグループの一人です。主人公は高校生ですが、推しのインタビューの発言や映像をコレクションし、解釈したものを記録してブログとして公開する、ファンの中で有名なブロガーでもあるわけです。このあたりもまたリアル。炎上したニュースを受けての記事を、学校生活の合間に書くんですけど、「皆さんお久しぶりです」から始まる内容の、高校生らしくなさ、ファンの中で尊敬されるファンっぽさがまたリアルで良いんです。
ともかく「推し」が身近な人にはわざとらしくない共感できる文章として、身近でない人にはその文化に浸かる人を書く批評的文章として、たいへんおすすめな作品です。
最果タヒ『星か獣になる季節』
現代歌人、最果タヒさんの初小説集になります。「集」とは書いていますが、二篇ある作品の関係は本編と後日談というべきもので、一つの長編小説といっても差し支えないかと思います。
初出が2015年……お察しの通り、「推し」という言葉は出てきません。おい企画わい、と思われてしまうかもしれませんが、本当に、その言葉がないだけなのです。それを大きな違いと捉えるにしろ、問題ではないと捉えるにしろ、この中に並べることに私個人の中で疑問はない作品です。
四角い箱にしか見えない教室で、ぼくはスマホの光の中で、急にきみの名前が羅列したことに気づいた。ツイッター、ニュースサイト。そこにはきみが逮捕されたという事実が書かれていたのだ。
という、冒頭ですが、「炎上」をスマホ画面越しに知る、『推し、燃ゆ』と同じ出発点なんです。
この作品の一番最初は「愛野真実さんへ」という宛名で、要するに作品全体が手紙文を意識した一人称小説になります。愛野真実さん、とは主人公の「ぼく」が応援する(推している)地下アイドルで、この文章では「きみ」となります。この冒頭の後すぐに明かされるのですが、「きみ」が逮捕された容疑は、殺人罪です。
一頁目から本読みがひるんでしまうくらい、文章は読み慣れた小説文体ではありません。このブログでも書簡体小説を特集したことがありましたが、それとも少し違うのではないかと思います。ファンから推しへの語りかけ文体、最果タヒさんのイメージもあって「ぼく」から「きみ」への歌のような文体です。
そんな独特の文章、ポエティックな言葉選びの中では「殺人」という言葉すら馴染んでいるのです。家を知っていること、盗聴をしていること、さらっととんでもないことが書いてあるのも素通りしそうになります。そしてクラスの人気者・森下くんと同じ推しを持つ同士交流を持つのですが、彼が「きみ」の容疑を冤罪とするため連続殺人を犯していることに気づき、彼を手伝おうとするわけですけれど──、ポップでダークでやばい、狂っちゃってる青春小説です。
古谷田奈月『フィールダー』
「推し」大礼賛時代に、誰かを「愛でる」行為の本質を鮮烈に暴く、令和最高密度のカオティック・ノベル!
裏面の帯にこちら煽り文言がありますが、アイドルや俳優やアニメを「推している」人の物語ではありません。しかし、この煽り文言は、読み終えれば強く頷くしかない。
この帯、表も裏も、読み終えた後の編集者の爆発した情熱を察することができてすごく好きなんですよね。あらすじにも「※以下のあらすじは、本書の凄まじさを1割も表現出来ておりません。」と前置きがあって好感が持てる。
先日読み終えてから今日ブログに書くまで、私自身頭を悩ませましたが、帯すごいなという感想に落ち着いていてしまいました。あらすじは潔く引用します。
総合出版社・立象社で社会派オピニオン小冊子を編集する橘泰介は、担当の著者・黒岩文子について、同期の週刊誌記者から不穏な報せを受ける。児童福祉の専門家でメディアへの露出も多い黒岩が、ある女児を「触った」らしいとの情報を追っているというのだ。時を同じくして橘宛てに届いたのは、黒岩本人からの長文メール。そこには、自身が疑惑を持たれるまでの経緯がつまびらかに記されていた。消息不明となった黒岩の捜索に奔走する橘を唯一癒すのが、四人一組で敵のモンスターを倒すスマホゲーム・『リンドグランド』。その仮想空間には、橘がオンライン上でしか接触したことのない、ある「かけがえのない存在」がいて……。
1割も表現できていないといった書き手の気持ちも察せられますが、導入をわかりやすくした見事なあらすじ、です。「かけがえのない存在」がね、このブログのテーマと重なるわけでして。
人権に関わる社会問題をテーマに専門書シリーズのように70年以上続く、小冊子『スコープ』の唯一の専任スタッフである主人公・橘は若くして社内でも尊敬を集める有名人です(顔がいい、らしいのがじわじわ来る魅力です)。そんな彼に信頼をおく黒岩という女性も、専門家としてテレビに出演するほど世間から信頼される人物です。
家庭環境に問題のある一人の女の子と交流を持ったことから始まる、黒岩の長文の告白で、一章はまるごと終わります。察せられることかもしれませんが、橘と黒岩、この二人の確固たる善性が大きく揺るがされることがこの物語に起きることになります。
帯にない、この物語の重大なテーマが「かわいい」です。
黒岩の宛てたメールには下記の文章があります。
橘さん、あなたは心の底から誰かのことを、かわいいと思ったことがありますか。かわいい、そう思った瞬間にその子のかわいさが絶対的事実として確定し、さらに増幅し、そうしてもうただかわいい、かわいい、と思いを重ねていくほかなくなる、そんな経験はおありでしょうか。
かわいい、に含まれる傍観性、身勝手さ、しかしそれを善悪に区分してコントロールすることができない激しさ。そしてその感情に包まれたときの幸福。この記事にこの作品を選んだ意味というのが伝わりますでしょうか。
黒岩さん、そして主人公の橘はそれぞれ、社会にはきっと否定されるしかないある気持ちを持っています。それでも愛情の一種には違いなく、特に橘のそれについてはなんだかもう、明るみになった瞬間に、ぁ〜、と心の裡から声が漏れました。いろんな人がそうなると思う。
読み終わってここ数日、この作品のあらゆる至言や名場面が浮かびました。
現代社会を描く、現代社会を斬る、そんな作品群と比べてもさらに進んだ切り口で、「現代人」に疑問を投げかけ、一つの結論を示す、今年を代表する傑作だと思います。
ということで、以上です。
魅力の1割も伝えられなかったのでは、という懸念はありますが、「今」を描くテーマとしてわずかでも関心を持つきっかけにしていただければ幸いです。
主人公である「推し」を持つ人(勿論『フィールダー』も含む、です)は、応援する立場や傍観する立場から、その人なりの渦中に赴くことになります。そこには炎上騒動や事件性があり、今日上げた作品以外にも、境界をまたぐように「サスペンス」を挟む作品が「推し」のテーマには多いように思います。
揺れ動く愛情は、恋愛感情とは似て非なりつつもばっさり切り分けられるものでもなく、新たな感情との邂逅がそこにあるのです。まさに文学です。
皆様にもぜひこのテーマの沼に、足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。
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