恋の話を集めたコーナーを紹介
こんにちは。
とにかく語呂合わせの記念日が多い11月でも屈指と言える、11/11が先日過ぎました。
本日の特集はその11/11にあやかったものになります。
ポッキーの日でもチンアナゴの日でもロロノア・ゾロの誕生日でもありますが、11/11は「恋人たちの日」でもあります。静岡県土肥町の観光協会が、恋人岬にちなんで制定した日だそうで、1111を並んでいる恋人たちになぞらえたというわけです。
ちなみに「恋人の日」は6/12で、縁結びの神である聖アントニオが死去した日だそうです。あくまで11/11は恋人「たち」の日ということです。いいですよね、「たち」。
ただそんな記念日があろうがなかろうが、ポラン堂古書店ではいずれ「恋愛小説コーナー」をしたいという話がありました。片思い、悲恋も問わず、男女も問わず、結婚がゴールかなんてことも問わず、広い意味で、恋を集めたコーナーがあったらいいと。
ということで今回、「恋人たちの日」にあやかって作ってみませんかと先生(ポラン堂店主)背中を押させていただきましてコーナーができました。
うまくアピールすることができていないのですが、わたくし、恋愛小説大好き人間でして、このコーナーにもたくさんあれやこれやリクエストしています。
恋愛なんてこっ恥ずかしい、とか、冒険やミステリやお仕事小説の中にわずかに醸す程度の恋愛があればいい、恋愛メインは苦手みたいな声が聞こえてきそうだと思うのですが、そんなこと言ったって、結局好きやん、一旦みんな自分の中のラブストーリー好きに素直になってみようやないか、という暑苦しい気持ちをもって、ちょっと3冊紹介したいと思います。
藤谷治『きなりの二人』
一発目から出しますけれど、私の、今のところベスト恋愛小説です。
1頁目から好きで、途中でやめて寝るなんてことができずほぼ徹夜で読んで仕事に行って、一日中思い返してにやけて、帰ってきてからももう1周読んだというのを覚えています。
壮絶な話でも情熱的な話でもありません。
売れどきを過ぎた女優の野滝繭美とカリスマデイトレーラーだった桜田眷作。アラフォーという年齢で出会い、好きになって、一緒に暮らす家を買う。
言ってしまえばそれだけで、派手さのない地味な話です。
ただ四十歳くらいのそれぞれの場所で生きてきた男女が出会って、互いの仕事やプライドに気を遣いながらも、相手と一緒に生きていくことを考えるっていうだけで、愛おしくてたまらない気持ちになるのですが、伝わりますでしょうか。
すると野滝が言った。
「ケン、家を買おう」
桜田は驚いて顔をあげた。
これが最初の文章です。物語上の起点となるシーンで、後に回想と一緒にもう一度挟まれますが、まずこの物語の重大な特徴や雰囲気が伝わる文章になっています。
それは、野滝と桜田の物語だということです。どちらとも苗字の三人称が使われ、野滝はこうした、桜田はこう思った、のようにこの後も続きます。要するに、二人に結婚は示唆されていないことを表していて、同時に二人が同じくらいの時間を、別々の場所で生きてきたこと、性別も職業も関係ない対等性がここに伺えます。
事実、二人は結婚を意識していません。あくまで二人を暮らすことを目指しており、読んでいて、その目標に少しも不自然なところはありません。
いくつもの経緯があって桜田は野滝に家を買おうと提案されます。その経緯もあって桜田は野滝に引け目のようなものがあり、強く意見は言えません。野滝も桜田の立場やプライドを慮りながら、勝負に出る気持ちでこの提案をしています。
それぞれ自立した、その上、何周も回った自意識をもちながら、一緒にいたい相手がいるということも認めています。
朝食の場面、家を探すドライブ、コーヒーを淹れながら、相手へ愛情に押し出されるようについ口から滑り落ちた「あ。」という呟き。繊細さと優しさと落ち着きがある、二人の会話一つ一つを私は愛してやみません。
上田岳弘『私の恋人』
素朴で可愛いタイトル、奇妙な絵の描かれた表紙、論文調とも言える硬質な文章、こうしたアンバランスに加え、高橋一生さんが帯を書き、主演・小日向文世さん&ヒロイン・のんさんで舞台化した、と言うと、その異色さが伝わりますでしょうか。
なんだこれは、がこの本を開くきっかけになった人はたくさんいるでしょう。
冒頭から何だかわからない人類に関する所見が並べられていきます。人類を「あなた方」と呼び、誰だかわからない「私」は「10万年くらい前から大体全部知っている」というのです。そして語られる「私の恋人」について。「純少女」でありながら「苛烈すぎる少女」となり、「堕ちた女」へ変節する……、10万年も前の「私」が洞窟で思い描いていた空想の産物について。
「私」は三度目の人生を生きています。一度目は10万年前クロマニョン人でした。とんでもないほど頭が良く、今日、ネット社会になり、パソコンで仕事をしているという未来すら予見できていたといいます。二度目は強制収容所で命を落とす、ハインリヒ・ケプラーというドイツ系ユダヤ人。そして三人目は、井上由祐という現代を生きる日本人です。
大天才だった1度目、壮絶な人生を送った2度目の記憶を持っていたとしても、井上由祐の人生はそれほどぱっとしたものではありませんでした。ただ、気になる女性がいます。
その女性が10万年前洞窟の中で思い浮かべ、強制収容所の中で思い浮かべ、一度も会ったことのない「私の恋人」っぽいのです。
そろそろお気づきかと思いますが、この作品は背景も壮大で、荘厳な語り口ながら、現代社会で恋愛や転職をがんばる、緊張と緩和をもったユーモア小説です。
けれどもコメディとするなら壮大で荘厳すぎる。10万年前から現代への視点の行き来、人類史と恋愛の視点を逐一切り替える巧さ、全体を通してロマンチックと言える文学性には読み終わった後に震えます。変わった恋愛小説だと思いますがぜひ。
嶽本野ばら『十四歳の遠距離恋愛』
表紙可愛い! から手に取ってもらって構いません。
結果、裏切りません。裏切らないと思います。
嶽本野ばらさん、といえば『下妻物語』が有名だと思うのですが、今作もまた14歳にしてロリータファッションに目覚めてしまった少女が主人公です。
少ないお小遣いで本場の店から買うことなどはできませんが、雑誌やインターネットでアイデアを得て作ったり、トイザらスで玩具王冠を買って頭に載せたり、なんとか作り上げたロリータで彼女は休日の名古屋の町を彷徨っています。
そんな趣味が学校でバレ、クラス中でからかわれるのですがかばってくれた男子が一人いました。藤森君といって、切り込みを入れた学生帽を授業中も脱がず、いつも柔道部でもないのに柔道着を肩に背負って登校し、こってこての名古屋弁を操る、男たるものはどうだみたいな精神で生きる昔気質過ぎる同級生です。
ロリータと柔道着(を背負っている)の二人はどうなるのかというと、他人の目を気にしないという点で一致するものがあったのか、順調に仲良くなっていくのです。互いに趣味は合わず、会話も噛み合わず、けれど「スガキヤ」でラーメンとソフトクリームを食べる心地よい関係。傍から見て藤森君のほうがぞっこんなのですが、いざ藤森君が東京に行くことになった後、自身の買ったアイテムを眺めながらこれを買わなければ電車代を捻出できたのにと涙する主人公のいじらしさはなかなかぐっときます。
14歳の遠距離恋愛はお金と時間との闘いになります。どうにかポケベルをマスターし、青春18切符を金券ショップで手に入れ、慣れない電車を互いに乗り継いで会いに行く。
その必死さはもどかしいながらも、滑稽ながらも胸にくるものがあります。
この作品は最初から回顧録です。最後の数頁は、涙腺にじわりと来ました。
以上です。
書きながら、恋愛小説好きと言いながらマニアックな路線を追い求めているように見えたかもしれないと自省が過りましたが、私好みを間違いなく選んだわけですので悔いはありません。
恋愛を小説で味わう良さは、自分の気持ちを見つめ、疑い、不安になり、自問自答を繰り返し、新しい自分に気付いたり、とんちんかんな自分に気付いたり、心の動きの滑稽さと可愛らしさを粒さに描写として味わうことができる点です。
相手が好きで、どんなに好きで、なんて惚気話が何頁も続くような作品なんてほとんどないと思います。みんな真剣で、面白くて、こっ恥ずかしいところなんてありません。
どうかぜひこれを機会に、ポラン堂古書店の恋の話コーナーや、お近くの書店などで、好みに合う恋愛小説を探してみてください。
0コメント