ボクシングの日にちなんだ小説特集

 こんにちは。

 もう夏が来ている気がします、それほどに暑い。蚊にもかまれますし、寝苦しくて目を覚ますこともありますし、いろいろ対策していかなくてはですね。

 そんなこんなですが、今回のテーマは「ボクシング」。

 一昨日にあたります5/19はボクシングの日でした。1952年に白井義男さんという方が、日本人で初めて世界チャンピオンになった日だそうです。

 日ごろからスポーツ観戦を好んですることも多い私なのですが、ボクシングについては正直に申しまして、からっきしでございます。つい先日「ミライ☆モンスター」(日曜昼に放送しているテレビ番組)で松本圭佑さんがフェザー級の日本王者になった特集にちょっと泣けた程度のにわかです。

 そんな私ですが5/19にちなんで、ボクシングの絡む小説を考えるとなると、それはもう瞬時にご紹介したい3冊が浮かんでまいりまして、日ごろからボクシングに興味がある人もあまりない人も、楽しんでいただけるのではないかと思い立ち、書き始めております。

 どうかぜひ、お暇がございましたらお付き合いください。




ポールギャリコ/訳:山田蘭
『マチルダ ──ボクシングカンガルーの冒険』

 元英国ボクシングチャンピオンと彼の育てた天才カンガルー・マチルダ(♂)が、野心があってもチャンスがない芸能エージェント・ビミーの元へ転がり込んできます。そしてそのカンガルーのマチルダは地方のお祭りで、現役ミドル級世界チャンピオンにKO勝ちしてしまうのです。しかもたまたま居合わせて大手スポーツ紙の大物記者が、新チャンピオン誕生の記事を打ち出してしまい、大騒動になっていく、まさに奇想天外のストーリーとなります。

 現実的ではない、寓話じみたものかなと、漫画やアニメナイズされたストーリーかなと、思われるかもしれませんが、実際にそう思いながら私も読み始めたのですが、なんと501頁しっかりと入り込める滅茶苦茶面白い一冊なのです。

 作者はポール・ギャリコ氏。当ブログでも昨年7/31更新分の「猫コーナーあります」の記事で『トマシーナ』を紹介させていただいておりますが、ファンシーめいた可愛らしいファーストタッチから、決してごまかしのない完成された見事な物語の数々を生み出した、素晴らしいストーリーテラーの名作家です。

 『マチルダ』は彼の1978年の作品ですが何も古さはなく、ただただ楽しかった。

 カンガルー特有のあの難しそうな表情で、息は臭く、もちろん喋りはしないマチルダは決してデフォルメされたキャラクターではない、リアリティーのある描かれ方をします。人間に恨みも、都合の良すぎる好意もなく、ただグローブをつけている相手にパンチをしたいだけのカンガルーです。だからかそ妙に愛らしい。

 またマチルダと巡業をするビミーをはじめとする仲間たちが人間らしく魅力的で、元英国チャンピオンでありマチルダを育てたビリー・テイカ―は、本当にマチルダを息子のように愛しているし、マネジメントを手助けすることになるパトリック・アロイシャスという男は頭が良く、皮肉屋ながら筋の通った倫理観を持っていて、敵味方問わず一目置かれているのがいちいちかっこいい。他にもマチルダの活躍を盛り上げる大物記者や、チャンピオンの後ろにいる裏社会のボスなど、冗談みたいに面白いのです。

 これだけ面白さが詰まっているのに、ですよ。お気づきでしょうか。創元「推理」文庫なのです。ぜひ読んで、その展開に驚いてほしいです。




詠坂雄二『亡霊ふたり』

 偶然ながら2作続けて、創元推理文庫でございます。繰り返しますが、今回はボクシング小説特集です。

 詠坂雄二さん。4月に放送されたアメトーク「読書芸人」の回で、書店芸人カモシダせぶんさんが『5A73』を紹介した際、テレビの前でテンションが上がった私の頭にはこの『亡霊ふたり』がありました。あらすじを見て手に取り、次の日仕事があったにも関わらず夜中1時に読み始めて4時に読み終えた、しんどくも幸福な経験をさせてくれた一冊でした。

 舞台は高校。「高校在学中に人をひとり殺す」という目標をもったボクシング部の1年生・高橋和也は、名探偵に憧れ事件を追い求める同級生・若月ローコと出会います。その体格、無鉄砲な行動力からの危うさなどから、殺害する相手をローコにしようと決めた彼は、彼女の探偵業に付き合うことにするのです。数多くの日常系学園ミステリを思い浮かべる方もいるでしょうが、若月ローコは自ら悟っているほど「謎に遭遇する力がない」探偵です。ただ、こじつけのように謎を追っていく彼女をコメディチックに描くかと言えばそうでもない。そのもどかしさ、憧れの破綻は切実に、痛々しく描かれていくのです。

 視点人物であり主人公の高橋は、ウォルター級県下2位の実力を持っていて、部活競技としてマイナーだからと本人は達観していますが、同級生の間でも一目置かれた存在です。ただ本人はボクシングそのものに真正面から向き合っているわけではなく、躰が鍛えられ実践的なスポーツだからという理由でボクシングを選んだだけだと言います。全ては殺人によって得られる自由の為、という彼なりの哲学ですが、傍から見て何も疑いようがないほど真面目に練習に取り組み、また時に本人もボクシングにはまっている自覚は多少あるのです。

 私が翌日の仕事を念頭に置きながらも読むのをやめられなかったのは、次から次へとそうくるか、という予想外を導き出してくる展開や描写の巧さの所為です。謎に遭遇できない探偵役の切実さもそうですし、若月ローコとの関係をからかう友人に対し淡々と否定しながらも、彼女の本質を理解し、彼女を殺害する目的を隠しながら信頼され、若月という苗字呼びからローコ呼びに変え、着実に彼女に執着していく高橋の描き方も魅力なのです。

 詠坂さんの既存作品のキャラクターの名前や舞台が出てきますが、この一冊だけでも充分に楽しめます。一風変わったジュブナイルが味わえると思います。ぜひ。




伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』

 2007年に斉藤和義さんのコンセプトアルバム『紅盤』を発売されたのですが、恋愛がテーマのこのアルバムが作られる際、斉藤さんから伊坂さんへ『出会い』をテーマにした歌詞の執筆依頼がきたそうです。かねてより斉藤和義さんの大ファンだった伊坂さんは、作詞はできないので小説ならば、と返事をし、「アイネクライネ」という短編を書き上げます。そしてその作品から、「ベリーベリーストロング~アイネクライネ~」という歌が生まれ、後にその曲がシングルカットされるとなり、伊坂さんはまた「ライトヘビー」という短編を書き下ろしました。

 『アイネクライネナハトムジーク』は、登場人物たちが各編に登場し、繋がっていく六話構成の連作短編集ですが、その一話目が「アイネクライネ」、二話目が「ライトヘビー」となります。特殊なきっかけをもって生まれた一話、二話から、後に映画化までされる名作が生まれたのです。

 もちろん映画化した後の主題歌は斉藤和義さん、ここにもまた、新たな曲「小さな夜」が生み出されるのだからすごいです。

 「アイネクライネ」は路上アンケートをきっかけに出会う男女を描いた作品です。男性の佐藤は友人家族に叱られるほど理想の「出会い」を求めています。決して非現実的な、夢見がちすぎる人間ではなく、ごく平凡に、いろんな人が口にするように「出会いがなくて」と口にするのです。

 この短編の巧いところが斎藤さんから「出会い」のテーマを受け取った伊坂さんが用いる、アンケート、というコンセプトです。冒頭で佐藤は職場でのトラブルから実際の路上アンケートをしているのですが、職場の上司、友人夫婦など、それぞれから大切な人との「出会い」を日常会話的に聞いていくことになります。そしてそれは後の五つの章にも繋がり、読者はこの作品がこうした緩やかな「出会い」を聞く物語なのだと理解していくことになります。

 「アイネクライネ」で知り合う男女の大きなきっかけになるのが、街の液晶に映し出される、日本人ボクサーが挑戦するヘビー級のタイトルマッチです。この結果が自分の人生を左右するかのように多くの人が集中して見守る世紀の一戦。二話「ライトヘビー」をはじめ、この後の短編にもボクシングが軸として活かされていきます。

 技巧的な、思わず唸るような仕掛けも伊坂さんの作品には多くありますが、彼の得意技ってやっぱり右ストレートなのかもしれない。そんな純粋な熱さが堪能できる気持ちのいい作品です。




 以上です。

 実はフェザー級、ミドル級、ウェルター級、ヘビー級とそれぞればらばらだなぁというくらいの気持ちで書いておりましたが、17階級あるんだということも私は知りませんでした。無知でございます。

 しかし古代ギリシャからあったと言われる、拳をぶつけ合うスポーツは、単にそれだけという本質と、単にそれだけではないという性質を、どうしたところで抱えているのだろうと、多くの物語を読む中で思います。今回紹介した三作にはそれぞれの複雑さがあり、勝った負けたという快感を味わうのではない余韻が散りばめられています。

 どれも言葉にするのが難しい感覚なのですが、とりあえず拳を交えてみましょうということで、とりあえず、読んでみていただければです。ぜひ。

ポラン堂古書店サポーター日誌

2022.4月に開店した夙川の古本屋さん 「ポラン堂古書店」を応援するために、 ひとりでに盛り上がってできたブログです。 ・ポラン堂古書店のおすすめ情報 ・ポラン堂古書店、 およびその店主が関わるイベントなどのレポート ・店主や仲間たちを巻き込む、読書好きの企画記事 ……などなどを毎週日・水ほか、で更新予定。 ちなみに店主とブログ主の関係は大学時代の先生と生徒なのでたびたび「先生」と呼びます。

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