ブックサンタ応援企画☆おすすめ本紹介②
みなさん、お久しぶりです。
変わりなくお過ごしでしたでしょうか?
昨日に続いて、今回は私はねずあかねの企画した、人手を借りつつ勝手に「ブックサンタ」を応援する企画でございます。
「ブックサンタ」というのは、連携している書店を通じて購入した本を子供たちに寄付できるというものです。この他にも、オンライン書店、クラウドファンディングで寄付する方法もあります。
私自身は昨年初めてこんなチャリティーがあるのか!と知り、急いでリアル書店から参加しました。寄付って少額だったとしても、気軽なようで心理ハードルちょっと高くないですか?少なくとも私はそうです。でも、誰かへのプレゼントという形だったら楽しい感じがします。
私のような人間は「どうせプレゼントするなら自分が読んだもの・知っているものにしたい」と考えてしまいます。そして、ブックサンタに参加する人の中に、選書を店員さんに手伝ってもらうという人がいることも知りました。
おや?なんだかこれは、我々のような本を紹介するブログのものにも手伝えることがあるのではないか?
そんなこんなで特に不足する傾向のあるという小学生向けに限定して、サポーターズのみなさんにおすすめ本を書いてもらいました。
本日は私、はねずあかねと桜澤美雅さんでお送りいたします。
※ブックサンタへの参加は連携書店、オンライン書店、クラウドファンディングで可能です。ポラン堂古書店から参加することはできません。参加方法は公式HP等をご確認ください。ただ、どんな本にするか迷ってしまう、試しに読んでみたいということであれば、ポラン堂古書店でもきっとお力になれると思います。そんなときはポラン堂古書店へもぜひご相談ください。
E.L.カニグズバーグ『クローディアの秘密』 ~はねずあかね~
ぴんぽん、と押されたチャイムに出たら、以前この近くに住んでいたんです、という方に会いました。私のほうはその時子供だったもので、相手の方のことはすっかりと記憶から飛んでしまっていましたが、相手は私のことを覚えていたようで、こう言われました。「よく図書館で本を借りていたでしょう、読み尽くすんじゃないかってぐらい」
さて、そんな印象を近所の人に与えるぐらいには図書館に通い詰めていた私ですが、借りて読み切らずに返した本だっていくらかあります。私にとっての音楽にも言えることですが、「タイミングが悪かった」としか言えないようなことです。なんだか読めなかった。そのうちの一つが、今回ご紹介する『クローディアの秘密』です。
元々今回の企画で紹介しようとしていた本が条件にそぐわなかったので、それなら過去に読めなかった作品をと思い選びました。
クローディアは家出を計画し、実行します。ただ家出といっても友人の家に泊まり込んだり、野宿するのではありません。クローディアは家出の際に滞在する場所をメトロポリタン美術館と決めて実行しました。美術館に家出するという、いかにも優雅で楽しそうなことといったら何と言えばいいんでしょうか。
クローディアは自身の思いつく限りで綿密に計画を立て(例えばおこづかいを貯めたり、仲間を選んだりすること)、仲間として選んだ弟のジェイミーには、仲間になってもらうため、深く興味を引くようなやり方で家出に誘います。
いざメトロポリタン美術館に着くと、そこには数々の展示があり、自分たちの手荷物を隠すのに良い展示物を探し、夜間眠るのに最適なベッドを展示作品から選ぶなど、美術館の中で生活します。昼間ももちろん美術館で、作品を観覧しにきた多くの人の内の一人として過ごすのです。
こうした、二人が普段学校や家で生活するのとは全く別の体験を一週間の家出で経験します。
クローディアは、家出をする前の自分と後の自分で何かが「ちがって」いたいと願っていました。この冒険と引き換えに、自分の何かが変わることを期待していたのだと思います。しかしながら、そう簡単に何かが「ちがう」ことにはなりません。クローディアのその願いは、終盤に向かって何度か打ち破られることになります。
クローディアは願いが打ち破られる度に、深く悲しみます。このままでは家には帰れない、帰りたくないと。何かが「ちがった」自分でなければ、クローディアの家出の目的は果たされないのです。
クローディアの願いは「秘密」の力によって叶えられます。「秘密」というものは、すごいものです。読み進めていく内に、この「秘密」というものがだんだんと力をつけていくのがわかります。
心の内に何か「秘密」を抱えていること、それが生きていく糧になることもあるのだと、この本は私たちへ伝えてくれています。
私が美術館に興味を持ったのはわりと大人に近くなってからなのですが、この本は美術館の持つ不思議な空気感の中へ確かに連れて行ってくれます。美術品や絵画の置かれている静けさと、観覧している人たちの静かなざわめき。全ての作品から何かは受け取れなくても、強烈に惹かれる何かには出会えそうな予感――そういった美術館での体験もこの本は満たしてくれるはず。
また、関心を持った何かについて調べることの楽しさや難しさにも出会わせてくれるので、好奇心旺盛な子や、冒険をしてみたいと思っている子にぜひすすめたい本です。
小手鞠るい『ゆみちゃん』 ~桜澤美雅さん~
人は生まれて、いつかは必ずその生涯を閉じます。
生まれる日は誕生日、亡くなる日は命日。
命が尽きるその日を「命日」と呼ぶのは、なんだか不思議な気がします。
誕生日というのはみんなが嬉しい日だというのは、私が1歳のときに弟が生まれたこともあり、わりと早くに理解していたと思います。
それに対して、死というものに初めて触れたのは、3歳のとき。母方の祖父が突然亡くなったときでした。
畳の上で、まぶたを閉じたまま動かなくなった祖父を目の当たりにして、死というのは「なんだかとてもこわいもの」という感覚を覚えたことを今でもはっきりと覚えています。後になって、死というものは「二度と会えなくなること」だと、徐々に分かってきました。
その3年後、6歳になったときに、今度は父方の祖父が亡くなりました。入院していた祖父が、お見舞いに行くたびに弱っていく姿を見るたびに、幼い私は不安でたまりませんでした。とうとう祖父にお迎えが来たとき、「こわさ」に加え、「さびしさ」で心がいっぱいになりました。そして、さらなる衝撃は、死んだらご遺体は焼かれるのだという事実でした。
さらに3年後、小学3年生のときには、母方の祖母が鬼籍に入りました。学校で授業を受けているときでした。険しい表情をした教頭先生が教室にやって来て、担任の先生と何やら話をした後、私の名前を呼びました。
「おばあちゃんが亡くなられたので、すぐに帰る準備をしなさい」
母の田舎に家族全員で向かうと、畳の上に祖母が横たわっていました。白装束を着せられ、額には三角の白い布が掛けられていました。祖母と同居していた私と同い年の従姉妹と一緒に、冷たくなった祖母の両手をそれぞれ握りしめました。二人で泣きました。
もしかしたら、このときに私は、死とは取り返しがつかないほど悲しいものだと、ほんとうの意味で実感したのかもしれません。「生き返ってほしい」と、火葬の直前まで願いました。でもその願いは虚しく、そして、当たり前のことなのですが、叶うこともなく、祖母はお骨になってしまいました。
そして、母方の祖母の死から6年後、中学3年生のとき。
父が亡くなりました。
思春期と反抗期、その両方のピークにいた私は、経験したことのない、深い喪失感に襲われました。20歳になるまでの5年間ほどは、不安定な気持ちを抱えて過ごしました。精神的に落ち着きはじめたのは、ようやく20代半ばのころです。
どうすることもできない喪失感と折り合いをつけて生きられるようになるまでに、10年かかったことになります。40代になった今でも、ふとした瞬間に、強い悲しみに心が埋め尽くされることがあります。まるで波が引いては満ちる砂浜のように、それは繰り返されます。私自身の命が尽きるまで、この悲しみが果てることはない。家族を亡くすということは、そういうことなのだろうと身に染みて感じています。
さて、社会全体がパンデミックに陥った状況から、近頃はようやく日常を取り戻しつつあります。行動制限で不安な日々を送っていたころ、私の周りでは訃報が相次ぎました。学生時代の仲間、私の結婚式に出席してくださった職場の上司、そして父方の祖母です。
いずれも、突然の訃報でした。今も胸が痛みます。それと同時に、未だに死が実感できず、「どこかで生きているんじゃないか」と思うこともあります。3人が天国に行ったことを受け止めて生きるには、まだ時間が必要なのかもしれません。
今回も前置きが長くなりました。このたびご紹介する本は、小手鞠るいさんによる児童書『ゆみちゃん』です。
主人公は小学2年生のりりちゃん。タイトルの「ゆみちゃん」とは、4年前に生まれた妹の名前です。けれども、ゆみちゃんは1年前にお星様になりました。りりちゃんはいつもゆみちゃんのことを想い続けています。毎日毎日。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、季節が移り変わるのを感じ、目に見える自然の変化の一つひとつを、お空のゆみちゃんに教えてあげます。
りりちゃんは、妹が生まれた日のことを思い出します。命の誕生について、生まれたばかりの赤ちゃんに出会ったときのこと、抱っこしたときの赤ちゃんの体の重み――姉のりりちゃんはしっかりと覚えています。
赤ちゃんをお世話したこと、妹が少しずつ成長していったこと、すべてがりりちゃんにとってキラキラした日々でした。ゆみちゃんのできることが増えていくのが、りりちゃんはたまらなく嬉しかったのです。
けれども、ゆみちゃんはお星様になる日が、突然来てしまいます。
当時小学1年生のりりちゃんは、かつてないほどの衝撃を受け、生まれて初めて強烈な喪失感を味わいます。まだ幼い少女であるりりちゃんは、戸惑うばかりです。
ゆみちゃんに会いたくて仕方ない日々を過ごしながら、ゆっくりと時間をかけて、「悲しい」という感情、「死」とは何か、「妹の死」を悼んで泣く行為について、理解していきます。
幼い子どもが、愛するものを喪った悲しみとどう向き合っていくのか、本書にはその過程が丁寧に描かれていきます。りりちゃんのひたむきさに、大人の私が心を打たれました。そして、2歳の娘をもつ母となった私は、わずか3歳でこの世を去ったゆみちゃんを想うとき、引き裂かれそうな悲しみでいっぱいになります。
本書の後半には、りりちゃんのその後が描かれています。子どもを持つ親として、家族を喪った経験のある一人として、命の重さと向き合うりりちゃんの優しい想いに、涙が止まりませんでした。
私の娘は、コロナ禍のただ中に生を受けました。本書を読みながら、りりちゃんとゆみちゃんのお母さんに思いを馳せました。ゆみちゃんの死を抱えながら、一体どうやって、りりちゃんの健やかな成長を願って育児をしてきたのだろうか……。考えるだけで胸が張り裂けそうになります。
生きていると、子どもにも大人にもいろいろなことがあります。深い悲しみに見舞われたり、強烈な喪失感を味わったり、癒えることのない心の傷を負ったり。大人であれば、それでもどうにか生きていく術を見つけたり、然るべき場所や方法で「助けてほしい」と訴えることもできます。けれども、子どもはどうでしょうか。とても難しいです。大事なことは、大人が子どもをどう見守り、支えとなり、温かい光のさすほうへ導いてあげられるか――。
日本でも世界でも、ネットやテレビ、新聞には悲しいニュースが尽きません。特に子どもに関する悲しいニュースは、聞くだけでもつらいものです。それが自分にとってどうすることもできないものならば、なおさら、やるせない気持ちが募ります。だからこそ、今回この本書を子どもたちに紹介したいと思いました。
『ゆみちゃん』という名前がついたこの本が、傷ついた子どもたちに寄り添い、温かい光で包んでくれることでしょう。
本書の装画と挿絵を手掛けたのは、イラストレーターの松倉香子さん。これまで小手鞠るいさんの児童書の装画と挿絵を数多く担当されています。慈愛に満ちた淡い色彩で、りりちゃんとゆみちゃんのキラキラした思い出、生まれてきた喜び、四季の美しさが描かれています。松倉香子さんの優しさに溢れた絵を眺めていると、心が癒されていきます。小手鞠るいさんが卓越した文章力で描き出す、子どもの心の機微と相まって、生きる気力を与えてくれます。
つらい思いをしている子どもたちへ、そして深い喪失感を覚えたことのある方へ、この本が届きますように。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
昨日と合わせてお読みいただいた方もありがとうございます。
「ブックサンタ」自体は寄付なので、参加するもしないも自由です。ただ、もしあと一歩踏み出せないなとか、結局どんな本にすればと悩んでいる方がいらっしゃったら、そういった方の一助になれると嬉しいです。
また「ブックサンタ」で本をもらっていたような子供たちが、いつか自分で、好きな本を手に取れるような未来があるといいなと願っています。
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