6/6は過ぎ、悪魔の小説特集~梅子さん編~
こんにちは。
近畿では5/29に梅雨入りしたそうですね。この時期は急な雨にも文句を言えない、のでしょうけども、文句を言いたくなるときもある。仕方ない。
そんな雨の小説特集は今年もやります。近日中に致します。
今回は6/6。兄の日だったんちゃうんかい、と先週の記事をお読みいただいた方は思っていただけるかもしれませんが、もう一つあやかりたかったものがあります。
そう、6が並んでいるのですから、悪魔の日です。
元ネタはヨハネの黙示録の、獣の数字「666」ですが、6が2つしか無かったとしても、6/6が悪魔の日なのです。
小説で、悪魔。人によってはうきうきできるテーマではないかと思い、私も気持ちが盛り上がり、かけました。ただ、ファンタジーをあまりまだ読んでいない私には良い記事を書けるか自信がなかったのです。「この悪魔!」みたいな言葉が出てきます、みたいなふわっとした感じにお茶を濁しかねない。
そんな私に救いの手が、差し伸べられました。そう、ポラン堂サポーターズきっての本読みで、和だろうが洋だろうがファンタジーなら頼ってしまえばいいでおなじみ、最近は何やら「きょうだい」という言葉にちょっとお怒りの(6/4更新分、兄弟特集にちょっと載せてますが)読書超人、梅子さんです。
毎度のごとく全投げし、今回も見事に楽しく仕上げてくれました。
ぜひご一読くださいませ。
魔法使いハウルと火の悪魔と、グッド・オーメンズ
あひるさん、ちゃうんやで。(←何がちゃうかは先週読んでいただければ。byあひる)
私が怒っているのは「きょうだい」という家族内での子供という役割を持つ人間同士の関係性を表す言葉が「兄弟」という性別がはっきりした漢字で作られている事ですよ。文章書く時に使いづらくて仕方がないっ! 家族内での子供という役割を持つ人間同士の関係性を表す新しい言葉か「きょうだい」という音に対する新しい漢字を求める! という話ですよ。
「別に兄妹(けいまい)とか読み方違うからええやん」と、思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、兄姉自分妹の事を話す時、自分氏はきっと「きょうだいが3人います」と言うでしょう。ほーら漢字に困るでしょう! 弟いねーし!
このような益体も無い話をいつも聞いてくれる友人には感謝しています。だけど「きょうだい」、お前はダメだ。
というわけで、使いにくい言葉は兄弟。好きな悪魔のタイプは、願いを叶える悪魔です。
あなたの願い事をなんでも一つ叶えます。代わりに魂頂戴系ですね。叶えた願いも悪魔的捻くれ解釈で、望んでいた形にはならない。王道ですね。ハゲを治して欲しいと願えば、犬にされる。ふさふさですね。
オーメンやエクソシストのように、ただ人に不幸をもたらすのではなく、契約という形でないと魂が奪えない不自由さにぐっときます。
ジブリ映画としても有名な「魔法使いハウルと火の悪魔」のカルシファーも契約タイプの悪魔。ただし地獄に連れて行く魂を得るためではなく、自分の命のために魔法使いハウルと契約し、暖炉に縛られて動けなくなっていた。契約が破られれば死んでしまうが、棲家に乗り込んできたソフィーには取引を持ちかける。自分の呪いを解いてくれれば、ソフィーにかかった呪いも解くと。
悪魔との取引にのって掃除婦としてハウルの城に居座ったソフィーは、呪いで老婆になった10代の女の子だ。「自分は長女だから何をやっても上手くいかない」が口癖になっているのは、末子成功譚が大手を振るう魔法の世界に、三姉妹の長女として生まれたため。長子の運命と言えば、妹を酷く虐めて仕返しされるか、一番初めに冒険に出て酷く失敗するしかない。いや、狼に食べられるというのもあった。
どうせ何をやっても、と諦めて老女の様に引きこもっていたソフィーは、動きにくい老女になったことで逆に思い切りよく家を飛び出せる。若い女の子が気にする様な事をおばあちゃんは気にする必要がないからだ。「疲れた」からと、動く城を止めさせて乗り込む事なんて、若い女の子には中々できることではない。
居座った城で住民に散々文句を言われ、時には魔法でできたヘドロを撒き散らされながらも、やりたい事をやり、できる事を見つけていく。時にはソフィー自身が癇癪を起こして、杖を振り回したり緑の炎をあげる除草剤を撒き散らしながら、自分にかけていた「長女だから何をしても駄目」というもう一つの呪いを解いていく。
この物語に出てくる人は、誰一人かっこよくて勇敢なだけではなく、かっこ悪くて情けない一面も持っている。だからこそ、誰もががその時その時一生懸命な事も伝わってくるのだろう。
魔法使いに女の子、犬、かかし、悪魔、魔女。童話でもお馴染みの存在たちが生き生きと躍動する世界に、少しでも興味を持ってもらえれば、とりあえず1ページ目を開いてみて欲しい。
ファンタジーに溢れた童話の中のイギリスを紹介したので、皮肉に溢れたまるきりなイギリスの世界観も紹介しておかないとバランスが取れない。ちょうどいい悪魔が「グッド・オーメンズ」という作品にいる。是非ロックバンドQueenの曲をかけながら読んで欲しい。
カルシファーは、憎めない、マスコットらしさのある悪魔で、人間を堕落させようとする存在ではなかった。だが本来の悪魔は、人間の魂を堕落させるためにありとあらゆる手を尽くす存在だ。契約なんてまどろっこしい事もしない。司祭を誘惑したり、政治家から賄賂に対する罪悪感を無くしたり。いや、十四世紀ならこれらもいいやり方だが、世界人口が八十億に届きそうな時代にはそぐわない。
魂を地獄に堕とすスマートなやり方は、首都のスマホを昼休みの間不通にするだけでいい。どれだけの人間がその不満を他のものにぶつけて魂を汚すか、想像に難くないだろう。
スマートな悪魔たるクロウリーは、来たるハルマゲドン(恐竜じゃなくて、天使と悪魔の全面戦争。世界が滅ぶやつ)をこっそり回避しようとする。天使との戦争が嫌なわけではなく、どちらが勝ってもスシレストランが無くなることが目に見えていたからだ。悪魔は人間の文化に誑かされていた。
悪魔クロウリーと敵対関係にありながら、一種の休戦協定を結んでいる天使アジラフェールも、ハルマゲドンを阻止するわけではなく(それは偉大なる父の言われた事だから邪魔はできない)ハルマゲドンを起こそうとする悪魔の計画を阻止(悪魔の計画を阻止するのは天使の範疇)するために動いていた。ちなみにこれは、音楽家の殆どが地獄にいるから、ということとは全く関係がない(こともない)。天使は人間の文化に堕ちていた。
敵同士の天使と悪魔でも、六千年程度の時間があれば一緒にご飯を食べることもあるし、ハルマゲドンを阻止するためにベントレーをかっ飛ばすこともある。もちろん地獄と天国にバレれば、悪魔は聖水に沈められるし、天使は地獄の業火に焼かれることになる。それでも、彼らは人間の文化を守るために奔走する。Queenの音楽と共に。
二週間以上車内に置いたカセット(音楽再生に使っていた長方形の記録機器)は、Queenのアルバムに変わってしまうという奇妙な癖を持った車(多分作中当時のイギリスジョーク)のおかげで出会った本でした。コロナ前に流行した映画からQueenにはまり、Amazon primeのドラマを知り、小説に至ったので、小説紹介する場でなんですが、そちらも是非。
梅子さん、ありがとうございました。
おすすめの角川文庫の書影も素敵すぎです。
良いですよね、悪魔。感情的でなく理性的で、梅子さんがいうように契約に縛られた不自由さに知性と色気がある。かと思えば、人間の作った娯楽を気に入ってくれるような親しみやすさがあって、そこもキャラクターとして抜け目がないと感じます。
何故だか黒いスーツのイメージが濃いので、制約に縛られながらも有能な勤め人、サラリーマンのような特徴も重ねてみてしまうのですが、それはあまりにも日本人的な感性でしょうか。
ともかく、あらゆる創作物で調理されている悪魔ですので、もっと他にもこんな作品が好きだとか、もっと悪魔論を深めたい方もいらっしゃると思います。6/6は過ぎ去ってしまいましたが、次の6並びに向けて、新たな悪魔の作品を手にとってみてはいかがでしょうか。
ちなみにですが、今回(も)寄稿してくれた梅子さん、今年1/29更新分に「鬼の登場する作品」特集も書いてくれています。悪魔が洋なら、和は鬼。興味を持ってくださった方は、このブログのカテゴリ「サポーターズ寄稿」からだと探しやすいので、ぜひぜひ読んでみてください。
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